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水曜日、6時半に起床。7時に立ち上がる。外は大雨で、風が強く吹いていた。いつから降っていたのか分からないが、夜中に起きて嵐に気が付きたかった。真夜中に嵐で目が覚めるのが好きだ。普通なら起きることのない時間帯にふと目が覚める瞬間、部屋は暗く静かで、今は何時なのか、何故目が開いたのか少し混乱しながら上体を起こし窓を見ると、寝る前は何ともなかったのに、狂ったように風が吹き、雨が窓を叩き、電線は揺れる光景を見るのは、眠気も相まって夢の延長線上にいるように錯覚する。私のベッドは上体を起こすと首だけで窓の外を見ることができるのだが、身体が隠れるので外を覗いているような気分になる。こそこそ覗くのも、悪い秘め事をしているようでワクワクする。安部公房の「箱男」で「見ることに愛があるが、見られることには憎悪がある」という文があったような気がするのだけれど、今ざっと探したのだがどこにあったか分からない。ベッドから外を覗く時、思い出の世界に浸るような懐かしさと愛着を感じることができる。そして新聞配達等のあまり人が出歩かない時間に活動している人を一方的に見ることに興奮と優越感を抱く。

ガラス一枚通して、また、身を隠して見るだけで対象に対して余裕ができるのは小学生の頃の「バリア」に近い気がする。「バリア」と宣告すれば相手からなにされても「バリア張ってるもーん」で通せば無敵なのだ。相手からすれば理不尽だし無視すればいいのだが、何故が言われると泣きそうになったし、言うと優越感に浸ることができた。実際には何もない「バリア」で無敵になれるのだから、ガラス一枚通して隠れて見ることは無論無敵であろう。

 

安心は心に余裕を生む。上記の愛着も興奮も優越感も安心があるが故に感じられるものだと思う。不安は緊張を生む。いくら身を隠しても不安であれば愛着も興奮も優越感も抱きにくいだろう。私は常に不安だ。不安な要素が数えきれないほどあり、その状態に慣れ過ぎて不安でない瞬間に不安を感じるようになった。不安の解消法はひたすら手を動かしたり酒を飲んで歩いたりなのだが、そうすると感情がジェットコースターのようにうねり世界がキラキラ輝きだすのだ。しかし醒めた後に襲ってくる虚無がどうしようもない寂しさを引き起こす。感情はどうしてこんなに苦しいのか。楽しいことも勿論あるのだが、基本的に苦しい設定がなされている気がする。私の振れ幅が大きいだけなのかもしれないが。感情の基本設定にある「愛」が一番しんどい。なのにポジティブ面してるのが納得がいかない。

 

うおおお眠気が凄いので寝る。

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