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水曜日、6時半に起きるもまた7時まで寝た。うどんは失敗するという反省を生かしてご飯と卵焼きにする。お湯をかけるだけのみそ汁も食べた。起きてから身体が妙で、今日はうまくいかない日だなと思いながら地下鉄まで向かい、地下鉄に揺られながら、今までうまくいった日なんてないじゃないかと思い直した。地下鉄は今日も客でいっぱいだった。そんな悲しい顔をして仕事に行くぐらいなら歌川国芳の寄せ絵をみんなでやろう。寄せ絵と同じ手法で人体地下鉄を作るんだ。ドアも壁も天井も車輪も全て乗客で作ろう。駅に着くたびに、乗客が度肝を抜かされるも仕事に行かねばならぬので、ためらいつつも乗ってくる。しかし、乗ったが最後、乗客は次々に地下鉄の一部になっていき、終点につくころにはいつの間にか始点の駅まで地下鉄が伸びていて、身動きがとれなくなってしまう。「やれやれどうしたものか、困ったことになったぞ」と地下鉄は呟いた。一人一人の乗客からできてはいるものの、すでに意識は総体として出来上がっており、一つの意思を持ってるのだった。地下鉄は様子を見に来た野次馬も、通報でやってきた警察も消防も、マスコミも駅員もみんな取り込んでいって、とうとう地下鉄の先頭が最後尾に届くようになり、12.7kmの一つの細長い円形ができあがった。ますます身動きができなくなり、哀れな地下鉄は、車両の一部となった乗客の記憶を探り、その中にあった美しい風景を夢想することで慰みを得ていた。次第に「記憶探り」はエスカレートし、記憶の中にあった美しい女性に恋をしてしまった。地下鉄は夢を見た。夢の中で地下鉄は一人の男となり、恋をした女性と、乗客の記憶にあった草原を歩いていた。その頬に触れたいと強く願ってもまるで縛られたように手が動かなかった。もどかしくて自分の身体をみると指一本一本が裸の人間でできていた。驚いて声をあげ、走り出した。川にたどり着き恐る恐る覗き込むと顔のパーツどころか皮膚まで全て人間の集合体だった。絶望した地下鉄は川に飛び込み沈んでいった。深い川だった。どこまでも底が見えなかった。上を見上げると愛おしい女性が覗き込んでいた。女性は笑っていた。ただ一言、愛していると伝えたくて、もがいているうちに光がどんどん遠退いて、こと切れる直前に一瞬記憶の中の誰もいない草原が現れた。そこで地下鉄は目が覚めた。暗いコンクリートと人体で作られた自分の最後尾が目の前にあるだけだった。もう何度このような夢を見たのか、何度目が覚め絶望したのか、溜息をつき、地下鉄が地下鉄らしく、線路の上でじっとした経験を基に井伏鱒二山椒魚を書き上げたらしい。

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