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金曜日、6時半に起床。7時に布団を出る。昨日は雨の中を立ちっぱなしだったため足がだるい。そのかわりよく眠れた。地下鉄でダンテの「神曲 地獄篇」を読む。ウェルギリウスがダンテに地獄の分類と地理をダンテに説明するところ(第十一歌)で感動する。変なところに心が動くんだなと思われるかもしれないが、天体を図示したものを初めて見た時に感じた不思議な立体感と同じ印象を受けた。途方もない巨大な空間と建造物には異常な恐ろしさと好奇心を感じてしまう。現代に生きる私が恐ろしさを感じるのだから、当時の民衆はそれは一生懸命信仰するだろう。仏教の世界の仕組みも異常にデカい。光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」に悉達多太子に梵天王が天上界の仕組みを語る場面があるのだが壮大過ぎて頭がボーッしてしまった。

 

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世界の中心、金輪の上に須弥山がある。その四周には香水海をたたえ、七重の金山、七重の香海をもってさらにその外周に鹹海がある。すなわち、あなたがたの知っている塩分よりなる海だ。最外周を鉄囲山がとり囲んでいる。鉄囲山はその名のとおり、鉄、銅、はがねよりなり、その岩肌は鬼神をもってしても超えることができないとされている。これを光速度世界の限界、とする解釈もある。

さて、太子殿。鹹海の中、東西南北に四つの大陸があり、南の閻浮提が人間の存在する。つまり、あなたがたの世界なのだ。

----------------------------光瀬龍百億の昼と千億の夜」p154、p155 早川書房

 

 小学生の頃から、宇宙のことを考えると自分がどんどん小さくなっていくような感覚がある。真っ白の空間に自分一人だけいて、シミのような黒い点でしかなくなる夢も見たことがある.。二つともその時は怖かったが今思うと圧倒的な何かを感じることができるのはそんなに悪いことじゃないと思う。この前も書いたが遠くにあるものや手が届かないものに対する不思議な憧れを抱くのだが、この感情は片思いに似ている気がする。これに苦さを加えるとそのまんま片思いになる。私の心を掴んで離さないものは私にとって圧倒的な存在だ。

 

そんなことを考えていたら仕事がまたうまくいかなかった。お金をもらっているのだからしっかりしないといけない。「こいつは使えん」と言われたが、それは事実なので出来る範囲でやっていくしかない。私はまだ人件費以外で会社に損害を与えていない。

 

仕事中にカバンの底から昨日のお祭りでひいたおみくじが出てきた。「中吉」と書かれたおみくじの内容は「努力すればなんとかなる」という至極真っ当なことが書いてあった。何故か「この日常のうまくいかなさは神罰かもしれない」と感じ、仕事終わりに神社に寄り、おみくじを結ぼうと決意した。祭りは日曜日まであるのでまだとても賑わっていた。雨が降っていないだけでこんなに気持ちがいいのかと感心し、屋台をぶらぶら見てまわった。おみくじを結ぶところを見つけ、さっそく結ぼうとポケットをごそごそするが肝心のおみくじが無い。カバンも探したが無い。これはしまったと思い、このままでは来週も神罰が下るかもしれんと恐れ慄きながら本殿に向かい、一言謝ってから再びおみくじをひく。「小吉」ちゃんとワンランク下がったものを引いて笑ってしまう。「水の如く低く流れよ」と書いてあった。水は好きなのでそんなに悪くないじゃないかと思いながら何となく一番低いところに結ぶ。帰りに本屋で村上春樹翻訳集「恋しくて」を探したがなかったので山田詠美の「ベットタイムアイズ」を購入。帰宅後、とても疲れて晩飯のあといつの間にか寝てしまっていた。高校の後輩と歩いていて、二人でその後輩の後ろ姿を見る不思議な夢を見た。

 

 

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