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ブログに仕事のことはあんまり書かないでおこうと思っていたのだが、一日の重要な時間を費やしていることなのでやはり考えることはあるし、もっとも今日の出勤途中にむくりと疑問が湧き上がったのである。

           

             「なんでこんなに疲れるの」

 

仕事してんだから疲れるだろバカかお前はと思われるだろうが、私は非正規であるが故に(正社員と比較して)プレッシャーのかかる仕事はしていないし何より定時退社である。18時には会社を出て家路につくのである。にもかかわらず、ええここまでぐったりしちゃうの?と自分でも驚くほど疲れている。具体的には自室の椅子に腰かけたら一瞬で1時間経過したりしており、その間何をしてたかと聞かれても虚空を見つめていたとしか答えられない。虚空を見つめて椅子に腰かけ1時間も経過するなんてわびしすぎるし、このままどんどん歳を重ねると思うとみぞおちがグッと縮み上がるので、仕事をしながら自分は何を考えているのか観察をしてみたのである。その結果、ほとんど無駄な気苦労に意識が支配されていることが分かった。3回ほど確認してカバンに入れたにも関わらず、もしかしたら無くなっているかもしれないという不安に襲われてまたカバンから出し確認し、移動中もちらちらとカバンの中を覗いてみたり、席に人が近づくだけで話しかけられるかもしれないと緊張が強くなったり、デスクで作業をするだけでその行動ひとつひとつがどう思われているかの妄想を(全てマイナスな方で)している。

これらの不安はほぼ的外れなものであり、今まで不安が実現したことがない。勿論他人にどう思われているかは分からないが人は他人にそんなに興味はないだろうとも思っている。不安はそんなに実現しないと分かっているにも関わらず負の感情に支配されてしまうのは私が完璧主義の気があるからだと思う。もっとスマートに仕事をしたいとか人に見られて恥ずかしくないようにしたい等の想いがとても強いし、要領が悪く頭も悪いことを隠したい。それらは結果として失敗したくないという想いになっている。失敗はとても怖い。小学校のころ、先生が授業中に「わかった人から手をあげていって」と言って分かる子と分からない子を可視化させていたのだが私は授業が全く分からない子だったので最後まで手のあがらないことが恥ずかしくて苦しかった。高校に入ってからは何をしても分からないと完全に諦めて赤点を取りまっくていたが見た目が頭良さそうに見えるガキだったのでええ、頭悪いんだという反応がまた苦しかった。

まあ、勉強してないから自業自得だよね。別に失敗してもいいやという気概が大事であると思うのだがそれは中々難しくて、失敗した結果を想像するだけで泣きそうになる時もある。社員と話す必要がある時に話した結果、どう思われるかを考えてしまう気苦労もしんどいものがある。これを聞いたらまた「は?」と言われるかもしれないとか、逆に指示を受けた時や雑談として話しかけられた時にうまく返せないとそれでかなり落ち込んでそれを引き摺ってしまう。

 

このような無駄な気苦労を仕事中の8割の時間、何かしらの形で考えてることが分かった。負の妄想をしている時は心ここに非ず状態だったので、ああ、こういうことかと客観的に感じることができたことは大きい気がする。やはり体力的には疲れてなくても緊張と不安が長時間続くとやはりぐったりしてしまう。全く仕事と関係のない人が言うには、私は何をするにも畏まって身構えて、力が入り過ぎているらしい。力が抜ければ生きやすくなるかは分からないが、力の入り過ぎはよくないことは分かる。当面の仕事での目標は適当になることと金を貯めることに決めた。