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加速度的に物事が進んでいて私はその中でボーッと過ごしているように見えて地団駄を踏んでいて、それは思春期の学生のような悩みを原因とするものでどうすればいいのか分からず日を追うごとに混乱を深めている。だいたい私のような悩みをいい歳して抱えている奴はロクな人生にならないといのは知っている。山月記の李徴子は秀才であり才能があったのに哀れな虎に変わってしまったのは強大な自意識が原因だ。現代社会、自意識を上手く飼いならさなくては虎よりも惨めな結果になるだろう。神曲の第二歌に

「いま願ったばかりのことをもうやめて別の考えに移り、はじめの一念はすっかり捨てた、そうした人のように」という記載があって、うわあこれは私ではないかと暗い気持ちになってしまった。暗い気持ちは全部の精神を持っていくのでほんとうに健康に悪い。どうでもいいかもしれないけど李徴子はまだ虎だから良いよね。しかも人の頃の記憶が消えてしまうのだし。人のままそれこそ文革みたいに三角帽子にプラカード下げて椅子に立たされるとかだったら虎より絶対しんどいと思う。

自分には好きなものも好きな人もいないし本質的に何も信じてなくて特になにも感動もなく一般的にそうなっているから今こうして社会にいる状態であるというのが辛くて、なぜ辛いかと言うと今まで好きだったものや人や事象は全部ウソでそうなると短いながらも生きてきたことが全部否定されて私はいったいなんですかなるからです。そういう考えは贅沢みたいなことを普通に言われるのがまた辛い。最近何も良いことないですね。良いことを期待するからいけないんですかね。パソコンに珈琲ぶちまけたけどいくつかのキー以外全部何事もないように動きだしたぐらいですかね。良いこと。珈琲も衝動的にコップ投げたからぶちまけたんだけどね。

 

「人は真実を、ちょうどいい温度で保存し平均的なまなざしでとらえ、平均的な言葉で描写しなければならない。そうすれば、いつもながらの事物と言葉、感情と言葉、行いと言葉との安っぽい一致が生まれてくるのだ」

インゲボルク・バッハマンの短編の一節だけど今読む時だなと思った。新聞の書評を壁に貼ってからもう長い。