読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

18

 晴れ。雨も降った。

 病院に行った帰り、雷を伴う雨が突然やってきた。病院で100均の小さい傘(普通に差すと肩がはみ出る)を貰い身体を小さく縮ませて地下鉄の駅に向かっていた。病院から駅までは両側に家が立ち並び、歩道のない少し広めの道路が続いているのだが、土曜の昼過ぎだから遊んでいたのだろうか、多くの子供が家々の軒下に集まり、突然の雨をやり過ごす光景がぽつぽつと続いていた。

古い寺社町だからか、少し歩けば住宅街の中にも祠を見つけることができる。子供が続く道の先にも古い祠があった。簡素な造りだが歴史は古く江戸初期までさかのぼる。ある豪商の中国への武器の密貿易が発覚し本人は勿論その家族も連座として処刑され、その中には幼い子供もいたため町人が憐れんで祠を建てて祀ったとされている。この豪商は西国でも名の通る商人であり当時の藩主と非常に密接な仲であったにも関わらず何故か資料が乏しく、妻と子供は処刑されずに「奴」として命は助けられたのではという説もある。この商人家族の悲劇は、後に近松門左衛門浄瑠璃の題材に取り上げている。

どうもこの地域は悲惨な史跡が多い気がしている。祠から少し歩いた先、さらに時代を遡るが8世紀前半、京都から国司として赴任した家族がいた。妻が赴任先で死んだため地元の娘を後妻として迎え2人の間に一人の子供が生まれた。妻は次第に夫と前妻との間にいた義理の娘が疎ましくなり、ある漁師に「衣を盗むので困っている」と夫である国司に訴えさせた。激怒した夫が娘を探すと丁度濡れ衣を羽織って寝ている娘を発見したためその場で切り捨てたそうな。後に死んだ娘が枕元に立ち無罪を訴えたため、供養の為に石碑を建立し今でもそれは残っている。「濡れ衣」の語源にもなった話である。

そのまた少し先に歩くと細い路地に地蔵が複数納めている祠がある。その昔、そこに住む人々は掘れば出てくる一抱えほどの丸い石を漬物石として重宝した。しかし、漬物石を使った家に祟りや不幸が相次いだ為調べると、もともと一帯を治める藩の処刑場であり、丸い石は罪人の首を乗せておくための石であったらしい。そこで地域で祠と地蔵を建立し、大量の丸い石は祠の下に埋めたり地蔵の側に置いたりと祀るようになった。

 

 話が飛ぶが、私の父の生まれた土地は歴史が長く、三方を山、一方を海に囲まれた閉鎖的な土地であり、外部からの人間に簡単に土地の実情や内面を悟られないようにしてきたのだろうか妙にぼやけた空気である。父の家は複雑な地形の町にあるのだが、細い路地を進むと家はあるのに人はおらず物音もせず、山肌に沿って建設をしているので奇妙は形の家が多く、全く不気味であった。曲がりくねった道は先が見えず、曲がった先に突然荒れ果てた祠や地蔵や古い時代の墓があったり、鬱蒼とした雑木林を進むと突然視界がひらけコンクリート製の小規模なギリシアの舞台のようなものがあって、調べると高射砲の跡であった。

 

 中上健次の取り上げる路地もガルシア・マルケスの取り上げる町や王国もぼやけていて蜃気楼のように感じてどんどん引き込まれていく印象がある。ブログで以前泉鏡花の龍潭談を引用したが、様々な些細な要素が重なった結果幻燈のような風景ができあがっていき、見ているものは飲み込まれてしまう。特に父の生まれた町の路地を歩いた時、何かに引き込まれる感覚が強く、薄い膜を一枚通して見ているような錯覚を覚えた。ぼやけた空気をはっきり見ようとする欲求は強い好奇心を呼び起こす。私の住む土地も父の生まれた土地も曰く付きの土地と言ってしまうとまあそうなのだが、どこかぼやけていて輪郭が掴めない。しかし曰くが土地を知るヒントとなって、知ろうとすることで愛着が生まれる。永遠に求めることができる土地は魅力的だ。思索を尽くしても望郷は抱き続けるだろうなと思う。