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 昨日今日と天気が良く、コブシの花も咲いていて和むし座ると微睡む。仕事は周りがとても忙しそうにしているのでそわそわして落ち着かない。私は仕事ができないからか全く仕事が回ってこないので若干余裕がある。申し訳なさだけは人よりあるつもりなので気疲れしてしまう。

楽器の練習が全くできていないことが仕事ができないことより危機感を感じている。仕事が少しきついといつの間にか寝てしまう。しかし「きつい」の内容が気疲れなのは情けないけど自分らしい。ビジネス的なもので疲労を感じるなんて一生ないかもしれない。

上記のような情けない状況の中で今日、職場で「日本語通じないな」と言われたのだけどほんとにその通りだと思った。相手が言っているのが極端に聞き取れないことや聞き取れてもイメージが全くできない時があり困ってしまう。悪気は全くないのだけど、相手は不快に感じるだろうなと思った。

 

 最近の明るめな話としては「人を好きになったことがない」という人となぜか付き合うことになった。「好きになったことがない」ということが信じられなかったので2週間ぐらいかけてほんとに今まで恋愛感情を抱いたことがないかについて話を掘り下げると小学校の時にそういう感情を抱いた経験あることが判明して若干ホッとした。お互い恋愛感情がないので他に好きな人ができたら別れようという話しになり、とりあえず3か月ぐらい付き合うかとなった。付き合うといっても今までと変わらず、飯を食べながら話をするぐらいなので特別感はあまり無いのだが気楽で今の生活にはちょうどいいのかもしれない。

 

 

 冒頭でも触れたがコブシの美しい白い花が咲いている。もう春ということはハンミョウが出てくるだろう。小学校の時、よくハンミョウを追いかけて遊んでいた。山で迷った時はハンミョウについていけば帰れるとか何かで読んだ気がする。泉鏡花の龍潭譚はその逆で、少年がハンミョウの毒とツツジに惑わされ、見知らぬ村に迷い込み幻想的な体験をする。ハンミョウとツツジの情景の描写が美しくて好きだ。

 

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かた躑躅なり。し方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる、あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思う時、わが居たる一株の躑躅のなかより、羽音たかく、虫のつと立ちて頬をかすめしが、かなたに飛びて、およそ五六尺隔てたる処につぶてのありたるそのわきにとどまりぬ。羽をふるうさまも見えたり。手をあげて走りかかれば、ぱっとまた立ちあがりて、おなじ距離五六尺ばかりのところにとまりたり。そのまま小石を拾いあげてねらいうちし、石はそれぬ。虫はくるりと一ツまわりて、またもとのようにぞる。追いかくればはやくもまたげぬ。遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあわいを置きてはキラキラとささやかなる羽ばたきして、鷹揚おうようにその二すじの細きひげ上下うえしたにわづくりておし動かすぞいと憎さげなりける。

                  

                   中略

 

 心着けばもとかたにはあらじと思う坂道の異なる方にわれはいつかおりかけいたり。丘ひとつ越えたりけむ、戻る路はまたさきとおなじのぼりになりぬ。見渡せば、見まわせば、赤土の道幅せまく、うねりうねりはてしなきに、両側つづきの躑躅の花、遠きかたは前後をふさぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼まさおき下に、たたずむはわれのみなり。

 

泉鏡花 龍潭譚 青空文庫

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「見渡せば、見まわせば、赤土の道幅せまく、うねりうねりはてしなきに、両側つづきの躑躅の花、遠きかたは前後をふさぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼まさおき下に、たたずむはわれのみなり。」

が、色彩が豊かでほんとに素晴らしいと思う。

中学3年の時、登校中に蝶を見つけてフラフラついて行ったら遅刻したことがある。蝶しか見えなくなって、フワフワして気持ちが良かった。残念ながらツツジはなく、地面にめり込んでいる構造がどうなっているのかよく分からない木造家屋があった。その家は今はもうない。