12

 よく晴れた天気だった。ただ日が落ちると寒い。

 仕事は知らん。

 

 特にないのだけど、仕事中は何も考えないのが一番だと思った。移動は全部走っていたのだけど、肉体が疲れると雑念が消えて目的だけが残ったので行動に迷いがなくなるというか、他人が作業しているのを見ているような感覚だった。お陰で朝起きた時に全く疲れがとれていない。正社員とかなったら身がもたないな。どうやって生きてんの彼ら。

 光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」を読み始めた。萩尾望都の漫画版は読んでいたのだけど小説は全く手をつけてなかった。悲しいことに想像力がめちゃくちゃ落ちてることに気が付いた。美しい情景の文章に全くのめり込めてないし、うまく頭の中で映像化できない。小学生の頃は、読み始めると周りの音なんて聞こえなかったのに、今は周りの音がどんどん大きくなるし、頭の声も大きくなる。のめり込んだ後の「ここはどこ」みたいな別の世界に行って帰ってきたような感覚が好きだった。シャボン玉の中から景色を眺めるように、フワフワ漂いながら膜を通して世界を眺めるような幻想的な錯覚になっていた。「読書は心の旅行」みたいなニュアンスのことをよく聞くけど、それは正しい。読書を始めて、旅行から戻れなくなることはあるのだろうか。映画「8 1/2」の冒頭の悪夢のシーンで砂浜で空を飛んでるのに紐が足についていて、下からニヤニヤした男が引き戻そうとする。あの紐が切れるとどこかに飛んで行ってしまうように(映画では引き戻されるんだっけ、墜落するところで目が覚めるんだっけ。いずれにせよ悪夢からは引き戻される)読書も現実と旅行をつないでいる紐が切れてしまうとやはりその本の世界に入るのだろうか。

 

11

 不安定な天気が続く。土日と演奏会が続いた。聴く方なので特にプレッシャーはないのだけど、日曜の演奏会は知り合いに会うのではという恐怖感があって、演奏開始ぎりぎりまで会場の周りをぐるぐるしていたし、椅子に座らず、ホールの後ろに立っていた。

 土曜の演奏会ではチケットを売る仕事をしながらタダで聴いていた。叔母が来たらしいのだが全く気が付かなかった。叔母は私が小学校1年か2年の時に会ったきりだ。その時は火星人と自称する旦那といた。狭いスポーツカーに乗せてもらい、夕方、山の中にある墓に向かった。電気グルーヴのシャングリラが流れていて「君とキス、キス、キス...」という歌詞がずっと頭に残っている。叔母は旦那と色々あったり、過去のことで苛まれたりであまり部屋から出たがらないし、人にも会いたがらないと叔父から聞いていたので、演奏会に来ていたなんて意外だった。受付は私だけだったので、恐らく会って業務的な会話もしたのだろう。会場に来ていたお客の顔をできるだけ思い出してもどれが叔母なのかさっぱり分からない。向こうは気づいていたのだろうか。

 

 生の演奏を聴くと、その演奏の良さは別にして自分も演奏したいなという気持ちになる。ソロの演奏を聴くとソロでしたいなと思うし、楽団の演奏を聴くと合奏したいなと思える。良い傾向だ。あとは練習すれば良い。

 

 「アナーキーになれ」と言われた。アナーキーの意味はよく分からなかったので言われた時は荒木 経惟の顔が浮かんだ。反抗したいという気持ちはいつもある。でもそれが爆発するのは一人の時だけ。あとから思い出して、あれは違うとなるし、その場で怒らない自分を見て怒る。他人はいつも正論を言っている、とその時は思ってしまう。運良く殺してやるという強い気持ちになっても急ブレーキのようなものに阻害されて「相手が正しいのではないか」と頭の中で声が響く。他人を前に少しでも反抗の意志がでるのなら良い方だ。多くの場合(お酒が入ってない時)はもう完全に萎縮している。静かな怒りを手にいれたいがそれを手にいれるには烈火の如く怒る時のエネルギーが必要な気がする。

言い争いは怖い。だから知らないふりや何も考えてないふりをする時がある。勿論、ホントに知らないことのほうが多いのだけど。知らないと相手は諦めるのだ。そういう態度を取るときがめちゃくちゃ嫌だ。嫌々ながらあらゆる利害を高速で天秤にかけて、選んでいる。姑息だ。腹の底で正確に刻むリズムのような思想が人を強くするのではと今日思った。

何の話だっけ。アナーキーか。アナキストアナキズム。人の反対を選ぶこと。右向け右と(思想の右という意味ではない)言われたときに正面向き続けること。

「かへらないことが最善だよ」

 

10

 雨だった。もう少し季節が進んだら良い雨になるだろうな。冷たいし大粒で下品だった。天気を見ながらぼーっと過ごすのは性に合わない。叔父は台風になるとサンダルで傘を差さずに外を歩くらしいがほんとなのか分からない。しかしそうしたくなる気持ちは分かる。

 結構な量の書類を持って外を歩き回ってたのでへとへとになってしまった。しかし忙しいと時間はあっという間に過ぎるように錯覚するので大変良い。嫌なことがあった時「時間は均等」という言葉を強く思うことは気持ちを軽くするのに有効であることに最近気が付いた。物事は厳密に規則正しく刻まれているはずだ。心臓の音を聞くと落ち着くらしいが、無機質に刻まれる音は心が乱れた時に寄り添える柱になる気がする。ガルシア・マルケスの短編で心臓の鼓動をひたすら数えてついに数が足りなくなり困ってしまう人物がいた気がする。何の作品だっけ?

9

 昨日今日と天気が良く、コブシの花も咲いていて和むし座ると微睡む。仕事は周りがとても忙しそうにしているのでそわそわして落ち着かない。私は仕事ができないからか全く仕事が回ってこないので若干余裕がある。申し訳なさだけは人よりあるつもりなので気疲れしてしまう。

楽器の練習が全くできていないことが仕事ができないことより危機感を感じている。仕事が少しきついといつの間にか寝てしまう。しかし「きつい」の内容が気疲れなのは情けないけど自分らしい。ビジネス的なもので疲労を感じるなんて一生ないかもしれない。

上記のような情けない状況の中で今日、職場で「日本語通じないな」と言われたのだけどほんとにその通りだと思った。相手が言っているのが極端に聞き取れないことや聞き取れてもイメージが全くできない時があり困ってしまう。悪気は全くないのだけど、相手は不快に感じるだろうなと思った。

 

 最近の明るめな話としては「人を好きになったことがない」という人となぜか付き合うことになった。「好きになったことがない」ということが信じられなかったので2週間ぐらいかけてほんとに今まで恋愛感情を抱いたことがないかについて話を掘り下げると小学校の時にそういう感情を抱いた経験あることが判明して若干ホッとした。お互い恋愛感情がないので他に好きな人ができたら別れようという話しになり、とりあえず3か月ぐらい付き合うかとなった。付き合うといっても今までと変わらず、飯を食べながら話をするぐらいなので特別感はあまり無いのだが気楽で今の生活にはちょうどいいのかもしれない。

 

 

 冒頭でも触れたがコブシの美しい白い花が咲いている。もう春ということはハンミョウが出てくるだろう。小学校の時、よくハンミョウを追いかけて遊んでいた。山で迷った時はハンミョウについていけば帰れるとか何かで読んだ気がする。泉鏡花の龍潭譚はその逆で、少年がハンミョウの毒とツツジに惑わされ、見知らぬ村に迷い込み幻想的な体験をする。ハンミョウとツツジの情景の描写が美しくて好きだ。

 

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かた躑躅なり。し方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる、あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思う時、わが居たる一株の躑躅のなかより、羽音たかく、虫のつと立ちて頬をかすめしが、かなたに飛びて、およそ五六尺隔てたる処につぶてのありたるそのわきにとどまりぬ。羽をふるうさまも見えたり。手をあげて走りかかれば、ぱっとまた立ちあがりて、おなじ距離五六尺ばかりのところにとまりたり。そのまま小石を拾いあげてねらいうちし、石はそれぬ。虫はくるりと一ツまわりて、またもとのようにぞる。追いかくればはやくもまたげぬ。遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあわいを置きてはキラキラとささやかなる羽ばたきして、鷹揚おうようにその二すじの細きひげ上下うえしたにわづくりておし動かすぞいと憎さげなりける。

                  

                   中略

 

 心着けばもとかたにはあらじと思う坂道の異なる方にわれはいつかおりかけいたり。丘ひとつ越えたりけむ、戻る路はまたさきとおなじのぼりになりぬ。見渡せば、見まわせば、赤土の道幅せまく、うねりうねりはてしなきに、両側つづきの躑躅の花、遠きかたは前後をふさぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼まさおき下に、たたずむはわれのみなり。

 

泉鏡花 龍潭譚 青空文庫

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「見渡せば、見まわせば、赤土の道幅せまく、うねりうねりはてしなきに、両側つづきの躑躅の花、遠きかたは前後をふさぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼まさおき下に、たたずむはわれのみなり。」

が、色彩が豊かでほんとに素晴らしいと思う。

中学3年の時、登校中に蝶を見つけてフラフラついて行ったら遅刻したことがある。蝶しか見えなくなって、フワフワして気持ちが良かった。残念ながらツツジはなく、地面にめり込んでいる構造がどうなっているのかよく分からない木造家屋があった。その家は今はもうない。

 

 

 

8

晴れやかな天気だったが風が冷たい。仕事でミスをしたのでオフィスに行くまでの階段の数を数えた。数を数えると落ち着く。登りながら数えて、降りる時も数えた。同じ階段なのに数が違った。

 

毎日同じ店でうどんを食べる。毎日同じ時間に同じ店で同じものを食べると昨日が今日なのか今日が明日なのか分からなくなる。いい日も悪い日も平均化されて、思い返せばずっとフラットな毎日を送っているような気になってくる。感情が動くことがつらい。感情は悪。「機械みたいな人」みたいな蔑視をたまに聞くけど、機械は素晴らしいと思う。今日は感情がモリモリ動いた。しかもよくないほうに動いたのでとんでもないことになっている。

 

矛盾したことを書くが、感情が動くことは素晴らしい。もっと喜怒哀楽に溢れてそれを受け止める受容器としての強さがほしい。「自分に嘘をついて生きている」なんて自己憐憫的な主張は臭いから嫌いだ。と、思いつつ、「自分に嘘をついて生きている毎日をどうすればいいんだ」と毎日思っている。嫌いな主張に自分もすがっている矛盾に、いわゆる正しい人達の生き方と自分のしたい生き方の矛盾に内臓が引き裂かれそうだ。もっと素直になりたいと全てを否定したい矛盾、評価されたい思いと他人なんてどうでもいいと思いたい矛盾。矛盾だらけではないか。全てを終わらせる銃が必要だ。矛と盾なんて時代遅れだ。銃を出せ。

 

 

youtubeをサーフィンしていたら知ってる先生の音大の公開レッスンの動画に辿りつき観ていた。レッスンを受けてる女子大生がとてもエロそうだった。

 

 

7

狐の嫁入り」について書いたら今日は狐の嫁入りの日になった。wikiによると結構全国的な呼称らしい。

仕事は月曜日から走り回った。金曜日みたいな感じだ。土日はまだかな。5月の連休早く来い。

外出が多いので、信号で立ち止まった時やバスに乗っている時は遠くの文字にピントを合わせるようにしている。最近目がほんとに疲れやすくてそのせいか、肩の凝りがひどくなった。鍼灸を長いこと勧められているので近いうちに行ってみようかと思う。鍼灸のイメージが、ブラックジャックの琵琶丸のイメージが強くて鍼を一発打つごとに「紙をはがすようにケロリと」みたいなセリフを言ってきたらやだな。

 

移動で空いた時間にユクスキュルの「生物から見た世界」を読んでた。地元だし外出先はだいたい決まっているので見慣れた風景しかないのだけど、ユクスキュルによると見えている世界は知覚器官と作用器官によって生きるためにチョイスされた「環世界」らしく、全ての生物は同じものを見ても極端に言えば異なるものを見ているそうな。

まえがきが詩的にそのことを書いていた。

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野生に住む動物たちのまわりにそれぞれシャボン玉を、その動物の環世界をなしその主体に近づきうるすべての知覚標識で充たされたシャボン玉を、思い描いてみよう。われわれ自身がそのようなシャボン玉の中に足を踏みいれるやいなや、これまでその主体のまわりにひろがっていた環境は完全に姿を変える。カラフルな野原の特性はその多くがまったく消え去り、その他のものもそれまでの関連性を失い、新しいつながりが創られる。それぞれのシャボン玉のなかに新しい世界が生じるのだ。

「生物から見た世界」ユクスキュル/クリサート著 日高敏隆・羽田節子訳 岩波文庫

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まだ全然読み始めだからなんとも言えないけど、シャボン玉の外の世界が生の環境で絶対見れないのでしょうね。想像すると、宇宙の果てとか宇宙の外にある世界とかを考えた時みたいにどんどん自分が小さくなる感覚に陥る。「百億の昼と千億の夜」で阿修羅王が転輪王に出会い「シ」の存在の片鱗を教えられ絶望するシーンでも自分がどんどん小さくなる感覚と喪失感で「なんなんだー!」と叫びたくなった。漫画版しか読んでないけどね。

 

 

6

変な天気だった。日が出てると思ったらとたんに曇って雨になり、止んだと思ったら雷が鳴った。変な天気によくある日が出たまま雨が降る天気を「狐の嫁入り」と我が家では呼んでいる。何故かはわからない。

 

昼ご飯を食べる。ぶりの塩焼き、味噌汁、ごはん、かぼちゃとれんこんの天ぷら。食べて、けものフレンズを観た。お風呂に入って髪を切るために外に出る。美容師と話すことがないのだが気まずいので適当に話をした。美容師は完全に別世界に住んでるなと感じてしまう。同じクラスだったら絶対に絡むことがない人達だ。理容師の資格を持っていない美容師はカミソリが使えないそうな。使ったら即免許を没収されるらしい。

 

無職の時に毎日通ってた神社に向かった。挨拶し、おみくじをひく。本殿の隣に台がありおみくじをひく時は賽銭箱に100円を入れるシステムなのだけど、しばらく見ないうちに台の上は賑やかになり商売臭くなった。おみくじもだいぶちゃっちいものに変わった。小吉 「言葉どおりにならない世の中でも自分の言葉を信じよ」みたいな内容だった。正月にひいた時は「真実を求めよ」だった。

 

わがままを言って友達に会って貰った。喫茶店に入る。相談もそこそこにEテレの話などした。友人に限ったことではないのだけど、話をするのが難しい。繋がる話題をと思うと焦ってしまう。

 

やたらと人懐っこい猫を見て、深夜のコインランドリーはとても良いという話をしながら帰る。恋人と深夜のコインランドリーに行って、回る洗濯機を2人で黙って眺めたい。そういう情緒がとても好きだ。