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昨日は良い天気だった。フラットな気分で出社。ほぼ地下を移動するので家から地下鉄までのわずかな青空を眺める。地下鉄は便利だが景色がないのであまり好きではない。仕事は外出が主で、海沿いを走る電車に乗った。電車には人がまばらで、私は深く椅子に座り窓から景色を見ていた。海が見える時間はそんなに長くはないので逃してはならぬという心意気だ。海を見るともどかしい気持ちになる。谷川俊太郎は「あの空のあの青に手を浸したい」と書いていた気がするのだけど、私は現実的な人間なので空よりも海に身を委ねたい。

 

海に潜って海中から海面を眺めるのが好きだ。日差しがキラキラして、泡が上に吸い込まれていく。足に重りをつけて落ち着いて眺めたいのだがたぶん死ぬだろうな。中学の時、塾の先生が巨大なシャコ貝に手を挟まれて脱け出せず、気が付いたら救助されていた話を聞いた。意識を失う前、身体がぐるりと反転し海面を眺める格好になった、挟まれた手から出た血と水と泡と日差しとが混ざりあった情景は酸欠も合間ってたいそう綺麗だった、と言っていた。

 

水が好きで水に関する本をたまに読むのだがたまに珍妙な見解も知ることができる。儒学者の室鳩巣は江戸の町に水道を張り巡らせた結果、地面の気が抜けて土が乾燥し地の息である風が重みを失ってたやすく騒ぐようになったため火災が頻発すると幕府に進言したらしく、しかもこれが通って水道の一部廃止が決定したそうな。 地獄で餓鬼が水を飲もうとすると水が燃え上がり干上がるらしいのだけど、そんな感じなのかな。

 

 

 

 

 

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晴れやかな天気の下、仕事はほぼ外出だったので楽だった。淡々とこなすように心がける。

昼に大阪王将に入る。何を食べればいいのか分からなくて店のチョイスに行き詰ってきた。しかし大阪王将は失敗。しつこいし、身体に合わない油だった。最近良くないものを取り過ぎなので、しばらくうどんとかの生活になると思う。

 

仕事終わりにカラオケ屋で練習。同じ時間に楽器を練習している人がいつもいる。私が入るころにはもう吹いており、帰るころにはまだ吹いている。お金持ちである。

 

 

性欲と愛の見極めを考える。会いたいという気持ちはただの性欲なのではないかと思うと会うのが怖くなるし、相手に悪い。しかし会いたいという気持ちが発生すること自体は私が回復してる証拠であり喜ばしいことだ。会う前に、会った時やどこかへ行った時の相手の反応を想像しすぎて身動きがとれなくなることを克服できたらいいな。

3

日記を書こうとすると記憶が今日のなのか昨日のなのか分からなくなる。股引をズボンの下に穿かずに出勤した。風通しが良くて下半身が丸出しなのではないかと不安になった。

 

仕事は特に何も思うことはなかった。いつもの仕事をいつものようにこなすことに専念した。派遣会社の社員と面談し、仕事を正面から受け止めないこと、タイミングを逃さないことを教えられた。なるほどと思ったがうまくできる自信はない。特にタイミングは絶対逃すだろうな。

 

休憩中に読んでた水上勉の「文壇漂流」を読み終える。出てくる作家の作品をほとんど読んでいなかったのであまり馴染みがなかったのだが、作家にとって良い時代を過ごしたのだなと思った。水上勉等持院で小僧をしていた時、金子光晴はその寺の茶室で「こがね蟲」の推敲をしていたのはへーと思った。

 

金子光晴脳卒中か何かで倒れた時の妻の森三千代とのやり取りが好きだ。

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タンカにのった金子が、なぜだか、急に私の方へ手をさし出して、『ごめんね』と言った。そして、さし出した手にかるくふれると、へんに私はうろたえて『左様なら』と言った。金子は、かすかに笑いながら、『左様じゃないよ。また、かえってくるからね』と言った。『そうね、そうね、かえってくるわね』と私はつぶやいた。

思潮社 現代詩読本ー3「金子光晴」1978.9.15

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「考えることは余白の運動」と言ったのが誰か覚えてないのだけど「余白の運動」という言葉の伸びやかな質感が好きで何の前触れもなく頭に言葉がのぼってくる。白い世界が無限に広がっていく気がする。考えることは辛いので苦手だが、「余白の運動」はしたいな。

 

 

 

 

 

2

5時に目が覚めた。ああ、今日は早起きだなと思い目覚ましを切り二度寝をした。夢に会社の社員が出てきて社員と一緒に演奏会の準備をしていた。何かの指示を出されて、何かを運んでいた。見たことないようなあるような整備された街だった。

二度寝をしたのに遅刻をしなかった。中途半端な睡眠のせいか頭が重かった。仕事は面白いぐらいミスをした。オフィスは綺麗なので、夢で見たやたらと整備された街の延長線上なのかなと思った。薄い膜を通して眺めるように白く濁ってる。

 

仕事終わりにカラオケ屋で楽器の練習をした。カラオケ屋まで暗い住宅街と林を通る。町を歩くのは夜が一番だ。昼の見慣れた顔とは違う。こっそりと道を歩き、車も人も居ない道路の真ん中で立ち止まる。ひんやりとした空気としんとした静けさに包まれる錯覚。「包まれる」というのは良い。布団も好きだし。かまくらを作ったことがないが、入ってみたいなと思う。

三好達治の測量船にある「雪」は、無邪気に寝ている兄弟が雪に守られている感じがして好きだ。彼らは布団に包まれ、家に包まれ、雪に包まれている。真っ暗な空と白い雪。シンシンという聞こえない音。

 

 

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三連休をほぼ外で過ごした。最近、休みでも朝目覚めてしまうようになったし、夜も帰りが2時とか3時だからか週末の休日が労働の5日間より長く感じる。楽器のまとまった練習を再開してから人と会う機会が増えた。いや、楽器を再開したからというより外にいるからか。

 

休みの最後の日のこの時間帯が小学校の夏休みの最後の日のように感じる。どうやって学校に仕事に行くんだっけ。何時に着けばいいんだっけ。基本的なことを思い出すとこをしないといけない。拘束されることは憂鬱だし仕事は怖いし嫌なことばかり想像してしまうんだけど、基本的なことを思い出す時間は結構好きで、非現実と現実の間を彷徨っているようなじんわりとした空気が自分の足に纏わりつく。

 

今日は偶然会った友達から良い話を聞いた。悲しい話だったけど。心が処理しきれない出来事を身体の底に沈めてゆっくりと長い時間をかけて馴染ませていくこと。無意識に事を進めて、ある日、ふと折り合いがついたことを知るようなこと。話しを聞き終えた時、夢十夜の中の第一夜の読後感を思い出した。

 

待っているという自覚のないまま時を過ごすのが好きだ。というより羨ましい。いつも時間を気にしてしまう。計算が全くできない。いつも行き当たりばったりだ。柔らかい土と苔の上に座り太陽が頭上を通り過ぎるのを数える間に訪れがあったことを、美しい百合と暁の星の瞬きによって教えられたい。