64

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。を職場において誰に言えばいいのかという問題が毎年やってくる。これは全員にするのか、どの順番で言えばいいのか、どうしても言う機会がない人にどう伝えればいいのか等々、挨拶ひとつで色々考えてしまいどうしようもできなくなる問題だ。とりあえず偉い人には先に言っておこうと思って席に出向いて伝えたが、そのあと誰に伝えていけばいいのかやはりわからなくて混乱しながら席に戻った。偉い人の近くに席にある人にも伝えたほうが良かったのだろうか。しかし挨拶した人の近くの人に挨拶をしていくと、結果的に広い職場を一周することになるのでそれも考え物だよなと思い、ひとまず自席に戻り周りはどのように挨拶しているのか観察して行動を起こそうと思った。自席に戻って気が付いたのだが、偉い人の席に近い人は私が偉い人に挨拶をしていることに恐らく気が付いているのでどうしてそのまま自分のところに挨拶にこないのかと思っているかもしれない。私が自席に戻って観察後また立ち上がりその人に挨拶に行くのはどうも不自然だし、そんなに幅の広くない通路をうろうろするのも気が引けてしまう。自席から周りを観察するとみんな挨拶の達人らしくさらりと挨拶をこなし、挨拶なんがで気を揉み戦略を練っているような感じではなかった。自然体という私には最も遠い言葉を見事に体現されている。どうしようかと悩んでいる内にいつの間にか終業時刻になっていて、結局偉い人以外に明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。を自分から言わなかった。こうして文章にするとくだらなくて笑ってしまったが、年始の挨拶に限らず色んな場面で上記のような悩みを抱えて過ごしているので結構私にとっては深刻な問題である。

 

 

63

私が用事で外出するとき、私が行きたい方向の地下鉄がいつも改札を通るか通らないかのところで出発する。乗り場に到着すると同時にスムーズに地下鉄に乗りたいのに、アナウンスと地下鉄の音と地下から吹き上がる生ぬるい風を受け止めながら「ああ、また行ってしまうのか」と思いながら改札を通る。もっと考えて家を出ればいいのだろうが、最近は運試しみたいに考えていて、スムーズに乗れればその日は運が良く、逆であればあまり良くないと思うようにしている。つまり今のところあまり良くない日しか過ごしていない。一番良く使っている最寄駅だけタイミングが合わないのは何か相性が悪いのだろうな。お供え物が必要なのだろうかと、次の地下鉄を待ちながらぼんやりと考える。

移動中漫画版の「五色の舟」を読む。戦時中の見世物小屋の一派が牛と人間の合いの子である「くだん」を仲間に加えようとして一悶着起こる話だ。「くだん」は主人公たちが引き取る直前に軍が徴収してしまう。その時トラックの隙間から見えた「くだん」と目が合った主人公と仲間の桜は、その日以降、小屋の仲間が次々に別の舟を乗り換えて行く夢を見る。「くだん」の話によると歴史は一つの内海で、そこに浮かぶ舟がそれぞれの世界と歴史の航路を持っている。つまり日本に原爆が落とされて敗戦するとは別の世界が存在し、「くだん」はその人が望む世界に連れていくことができる。話の途中で「くだん」を敵国が攪乱の為に送り込んだ兵器と信じる軍人が発砲し云々穏やかではない展開になる。

 

楽器のオイルを購入し、「敵国降伏」とデカデカと書かれた神社に向かう。長い参道の両端には出店がたくさんでていた。下火になったのに「ハンドスピナー緊急入荷!」という看板が掲げてあり店主が在庫に困ってる姿が目に浮かんで笑ってしまった。参拝の長い列に並びお参りする。正月が終わった。

 

 

62

一日の朝に見たことのない糸目の少女と仲良くなる夢を見て良い初夢だと思ったのに、初夢は一日の夜に見るものというのをツイッターで知ってがっかりした。そして一日の夜に見た夢は知らない定食屋で何を頼むか悩む夢だった。丼ものが食べたかったのに定食と酒のつまみしかなく、何を食べるか悩んでいる横で店員がずっと待っているので焦って余計に決まらないという日常のささやかなストレスの夢だ。正月からリアルな夢を見せないでほしいし、もうちょっと何かを暗示させるような夢が見たかった。夢と言えば一時期夢占いにドはまりしていることがあって、朝目が覚める度に夢を思い出し夢占いサイトで調べていた。夢さえ分析できれば自分が何者なのかわかるのではないかと思っていたが、毎日脈絡のない夢を見続けるのでその時に一喜一憂するだけで結局何も分からなかった。同じ時期に毎日神社に行きおみくじを引いていた。人生が少しでも好転するきっかけがあればと結構切実な想いで神社に通っていた。しかし大吉であろうと吉であろうと何も変わらずフラットで確実に下降気味の毎日でさすがに神の存在に不信感を抱き始めていた。ある日鬱憤がピークにきていて神社で手を合わせながら罵声を浴びせたところ、さすがに憐れんだのかその日はしばらくご無沙汰だった「大吉」を引くことができ「お、神優しいじゃん」とまた神の存在を信用することができた。夢占いとおみくじは共にノイローゼでかつ完全に無職の時期にはまっていたので今思えば誤った方向への情熱だったなと思う。今朝は初夢で食べれなかった丼ものを食べるべく、お値段高めのハムを厚切りにしてハムカツ丼をお腹いっぱい食べた。このような自分を満足させるための具体的な行動をしていきたい。

近況

 寒い日が続くがまだ仕事中にコートも手袋もマフラーもしていない。防寒はスーツのジャケットとズボン下に穿く股引ぐらいだ。股引は三枚もっていてそれぞれ違うメーカーのものだが三枚ともどこのメーカーか私は知らない。そのうち一枚は仕事終わりに足が非常にかゆくなるから穿かないようにしているのだが、必然的に残りの二枚を酷使することになる。中一日の登板はさすがに堪えたのかお気に入りの一枚の股が大きく裂けているのを発見した。「ごめんよ」と謝りながらそのまま穿いた。一日おいて、また穿くだろう。

 

 仕事が忙しくて一日はあっという間にすぎるのに一週間はとても長く感じ、一か月はとても短く感じる。口座のお金の減りがいつもより早いのに引き出しにある小銭入れはパンパンになっている。一か月ごとに小銭を貯めて、給料日と共に貯金用に小銭を流し込むのだが、ゆうちょのATMの小銭入れはとても口が小さく一回に二・三枚しか入らないので迷惑にならぬようATMが複数ある郵便局に向かう。小銭を入れている途中で時間切れの為にそのまま蓋が閉じてしまうことがよくあり、全てが計算し終わってから、また二・三枚ずつ入れていく。小銭の入れ過ぎで画面がエラーになり、しばらく待ってからまた二・三枚、繰り返して郵便局を出る。

 

 調子が悪い時、とりあえず葛根湯を飲む。効果はよくわからないが葛根湯なら大丈夫かなとふわふわした気持ちで飲む。葛根湯は12包入りで、残りは6包。半分、ふわふわした期待によって減ってしまった。股引もすり減ってお金も減って、葛根湯も減った。

 

 人と極力関わりたくないのに愛情に飢えている矛盾による弊害が腹回りの脂肪と共に増えている。少し気を許してくれる人がいるとすぐその人が生活の中心になってしまうのは病的であることにやっと気が付いた。想像で嫉妬するのは異常だし、相手も迷惑だろう。異常なほうに振れやすい感受性は精神衛生上良くない。異常な感受性のために精神が乱れているのか、精神が乱れて異常な感受性が現れるのかは分からない。毎日襲われる物狂おしい気持ちは罰と思って過ごす。相互フォロワーとの手紙をやり取りで、このような感情は私だけではないと分かり救われた。

 

 胃カメラを初めて飲んだ。胃カメラを飲むのはとても苦しいと聞いたことがあり嫌だったのだが、26にもなって動揺を見せるのも恥ずかしいのでできるだけ平然としていたがベッドに寝かせられて喉を麻痺させる薬を散布させられた時は恐らく引きつっていた。「胃の泡を無くす水です」と言われて、喉を麻痺させる薬のせいででにくい声を絞り出し「胃に泡があるのですね」と言わなくていいことを言って何言ってんだこいつという顔を看護師にされた。少しキツイ顔の看護師だったので不安もあって泣きそうになった。そのまま「眠くなる薬を注射します」と言うので痛みを緩和する為のなんちゃって鎮痛剤かなと思っていたら、がっつり寝てしまい気が付いたら全てが終わった後だった。思い返せば何だかごつごつされていたなとぼんやりしながら点滴が終わるのを待ち、看護師に「どれぐらい寝てたのか」とありきたりな質問をして少し恥ずかしくなった。内臓を見ながら炎症とピロリ菌と言われ、薬をたくさんもらった。診察費がべらぼう高くて目が飛び出た。

 

 母と居酒屋に行った。父親が同窓会でいないのでたまには行こうとなった。近所の焼き鳥屋に入るとカウンターに通された。隣に異常に声が高い男がやたらと店長を呼び出していた。声が高すぎてなんといっているのか全くわからない。母親から就職と友達がいないことを咎められた。うどん屋に行き、うどんを啜る。店員のやる気がまったくなくて良かった。

 

 文芸誌を買った。柴田聡子のエッセイが載ってるとのことで立ち読みで済ます予定だったが、なんだか申し訳なくなり購入。綿矢りさの「勝手にふるえてろ」が映画になるらしく、主演女優との対談があったのだが女優がかわいかったので映画が観たくなった。結構痛い主人公の物語らしいが共感するような気がしている。

映画や小説に「共感」するとはどういうことなのか。共感を求めて読んだり観たりしているのだろうか。中上健次ガルシア・マルケスに私は共感するから読んでいるのだろうか。共感するとどうなるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

61

月曜日、7時に起床。頭がボーッする。奇妙な夢を見た気がするがよく思い出せない。

昨夜から雨が降っていたので、窓を開けて寝た。雨音を聴きながら寝るのは気持ちがいい。うとうとしながら雨音を聴くと、布団にもぐりこむ自分と雨だけが世界で唯一存在していて雨に守られているように感じる。

誰もいない広い空間は悪くない。小学校の体育館で寝っころがるのが好きだった。天井は遥か高いのに、その天井に吸い込まれそうな気がした。布団の中で雨音を聴いている時も、体育館のように広い空間で寝ているように錯覚する。上下左右のない、真っ暗なのに明るい空間に私は横になり、周りに雨がしとしと降っている。

60

日曜日、10時に起床。うどんを作って食べた。金曜日は仕事終わりに会社の送別会だった。酔っぱらってまた余計なことをべらべらと話した気がする。土曜日は風邪が悪化し日中家にいたが、夜中、少し調子が良くなって散歩をした。散歩ついでにお酒が飲みたくなってガストに入りワインをデカンタで注文し、完全に酔っぱらった。お酒を飲んだからか異常に寒く感じ、コンビニで温かいお茶を飲みながら帰宅。そのまま布団に潜りこむ。そして日曜日、風邪が悪化する。今日も一日家にいるつもりだ。ビールを飲みながら「禁じられた遊び」を観た。絶対子供が親に隠れていやらしいことする映画だと思っていたがぜんぜん違った。ミシェルとポーレットが水車小屋に様々な生き物の墓を造るのだけど、墓というより2人だけの世界を作っているようだった。いけないと思いつつも教会の墓場から十字架をたくさん盗み、装飾をほどこし、無数にできた墓場をうっとりとした表情で見つめるミシェル。実際美しい墓だと思った。死のじめっとした陰気臭さがなく、純粋な信仰(神に対してだけでなく誰かに対する慈しみ)から生まれた、どこか哀しみのある美しさがあった(もちろん作ったのは映画の制作部だけど)

 

 

 

59

水曜日、6時半に起床。7時に立ち上がる。外は大雨で、風が強く吹いていた。いつから降っていたのか分からないが、夜中に起きて嵐に気が付きたかった。真夜中に嵐で目が覚めるのが好きだ。普通なら起きることのない時間帯にふと目が覚める瞬間、部屋は暗く静かで、今は何時なのか、何故目が開いたのか少し混乱しながら上体を起こし窓を見ると、寝る前は何ともなかったのに、狂ったように風が吹き、雨が窓を叩き、電線は揺れる光景を見るのは、眠気も相まって夢の延長線上にいるように錯覚する。私のベッドは上体を起こすと首だけで窓の外を見ることができるのだが、身体が隠れるので外を覗いているような気分になる。こそこそ覗くのも、悪い秘め事をしているようでワクワクする。安部公房の「箱男」で「見ることに愛があるが、見られることには憎悪がある」という文があったような気がするのだけれど、今ざっと探したのだがどこにあったか分からない。ベッドから外を覗く時、思い出の世界に浸るような懐かしさと愛着を感じることができる。そして新聞配達等のあまり人が出歩かない時間に活動している人を一方的に見ることに興奮と優越感を抱く。

ガラス一枚通して、また、身を隠して見るだけで対象に対して余裕ができるのは小学生の頃の「バリア」に近い気がする。「バリア」と宣告すれば相手からなにされても「バリア張ってるもーん」で通せば無敵なのだ。相手からすれば理不尽だし無視すればいいのだが、何故が言われると泣きそうになったし、言うと優越感に浸ることができた。実際には何もない「バリア」で無敵になれるのだから、ガラス一枚通して隠れて見ることは無論無敵であろう。

 

安心は心に余裕を生む。上記の愛着も興奮も優越感も安心があるが故に感じられるものだと思う。不安は緊張を生む。いくら身を隠しても不安であれば愛着も興奮も優越感も抱きにくいだろう。私は常に不安だ。不安な要素が数えきれないほどあり、その状態に慣れ過ぎて不安でない瞬間に不安を感じるようになった。不安の解消法はひたすら手を動かしたり酒を飲んで歩いたりなのだが、そうすると感情がジェットコースターのようにうねり世界がキラキラ輝きだすのだ。しかし醒めた後に襲ってくる虚無がどうしようもない寂しさを引き起こす。感情はどうしてこんなに苦しいのか。楽しいことも勿論あるのだが、基本的に苦しい設定がなされている気がする。私の振れ幅が大きいだけなのかもしれないが。感情の基本設定にある「愛」が一番しんどい。なのにポジティブ面してるのが納得がいかない。

 

うおおお眠気が凄いので寝る。