68

少しずつずれた距離をもとに戻したいと思う。会う度の会話やラインでの何気ないやり取りによって少しずつずれた距離の戻すには会って話すしかないと思うのだが、率直に素直に話すのはとても難しい。どうしてもかっこつけてしまったり、相手を試したり、何とか優位に立とうとしてしまう。弱さと余裕のなさを出したら今以上に嫌われてしまうような気がするし、恥ずかしさが出て、誤魔化してしまう。もう私もいい歳になった。にも拘わらず、思春期のような悩みを抱き続けている。時間は幸か不幸か、私を無視してどんどん進んでいく。私の成長に対して時間は早いと思う。

 

実際に会って話すとしよう。そこまでは良い。しかし、戻すとはどこに戻るのだ。男女関係ではあるが付き合っていない。今でも友達だし、やり取りもしている。ただ、最近よそよそしいというか、まあそこが少しずつずれた部分だと思うのだけど、変な感じになってる。以前みたいに気軽なやり取りをして、箸が転がるだけで笑っちゃう仲に戻りたい。あの時はなんであんなに笑えたのだろうかと思う。今思うと、君の考えてることは前もよく分からなかったし、今はもっと分からない。君が私の言葉に敏感に反応して一瞬表情を曇らせることがあった時、もっとフォローしてれば良かったと後悔してるし、もっとも、表情を曇らせるようなことを言わなければ良かった。

この日に会おうと強く言うのが怖くなってしまったけど、どんなことでもかまわないから話がしたい。

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 中沢けいの小説「海を感じる時」を再読。かなり前に読んだので内容はよく覚えていなかったが、とても良かったという質感だけは覚えていた。昔読んで「良い」と感じたものを時間をおいて読むとがっかりすることが多いのでびくびくしながら手に取ったが、結論からいうととても良かった。

 

主人公の恵美子は父親(亡くなっている)にも母親にも甘えることができなかった孤独から、恵美子の母親は夫を亡くし親戚からも疎外される孤独と娘を育てるプレッシャーから、恵美子の先輩の高野洋のバックボーンは書いてないから分からんが、何かしらの理由で孤独を抱え、それぞれがその孤独を埋めるために歪んだ関係になってしまう。

 

恵美子の母親は、娘が男(高野洋)を知ったことで一人の女になってしまったことに混乱し、恵美子は、錯乱した母親が夜の海に向って夫を求めるところで一人の女であることを認識するところがとても良い。家族はどうしても父親や母親や子供を演じてて、それぞれ男や女であることをなるべく見ないようにしていると感じているのだが、いわゆる普通の家庭だとなあなあにできてしまうところを上手く処理できない辛さに共感をしてしまった。

母親が錯乱してからがあまりにも切実だから引用する。

 

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「お父さんはいいねえ。早く死んじゃって。娘が大きくなって、やれやれと思うと、今度はわからないことばかり言って、もう、わたしには、どうしたらいいのか。このまま、ここでつめたくなっていきたいよ。つめたくなって。楽に死にたい。おとうさん、おとうさあん……」

桟橋の先にすわりこむと母は、そうつぶやきだした。母の背はつめたかった。冷え切った背を、私はおおいかくすように、私の身体をぴったりと母につけた。寝間着の身八ツ口から女のにおいが、鼻をさす。

中略

 母の中にも、私の中にも深い海があるのだと思う。太古から生物を生みだしてきた海があって、ある時、その海は母親と娘を遠ざけ、ひき裂く。母の海が涸れてしまうまで、それはつづく。

 私は、母が父について、愛情をいつもあたえてくれるものだと信じているのを知っていた。死んでしまっても彼女は、父の愛情の中で生きている。母が、くだらないことしたことがないから、わからないと言う度に、私は自分がどれほど一人ぼっちであるかを知った。

 私の混乱と痛手を、ふみつけにし、ののしることしかできなかった母の背で、今、私は母が発する女のにおいをかいでいる。

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 恵美子には高野洋という年上の男がいて、恵美子は洋に抱かれるのだが、洋は恵美子のことは身体だけの関係と言って恋人のようになることは拒否する。恵美子は洋に対して私を何らかの形で必要としてくれるならそれでいいと伝えている。洋は恵美子が訪問してくること自体は拒否せず受け入れているが、恵美子の気持ちは受け止めない。

もう完全に深い関係なのだが、すごいなあと思ったのは洋が一緒に住もうと持ちかけるところで恵美子が内心は興奮しながらも拒否するところだ。

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「俺、もうこんな中途半端いやだよ」

「どうするつもり」

「どうせ俺たちうまくいかないんだ。あんただって、俺が好きだの愛してるの行っても信じられないだろうよ。だから、あんたにダメだったことわからせたいよ」

「一緒の生活する」

「ああ、前からあんたが東京に出てきたら、同棲でもしようかと思っていたんだ、それでダメだってことわからせるんだ」

中略

洋は興奮していた。私もいったい彼がなにを意図しているのかわからずに興奮した。が、私の口から出た言葉は、つめたかった。

「わたし同棲なんてしないわ。社会から葬られたくない。落ちついて考えてよ」

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お互い一緒になったら終わることに気が付いているけど、だからといってはいさようならとはできない。じゃあどうしようかとなると洋の後の言葉の「お互いの生活を破壊せずにやっていこう」になる。洋は恵美子をほんとうに愛していないし、恵美子も実際は洋を愛していない。足りない部分を埋めるために引き寄せられている。単純だけど、複雑な関係。

 

寄せては返す波のような駆け引きをやりたくもないのにやらざるを得なくて、時間だけが過ぎていく。そんな生々しい関係が静かな言葉で綴られている。

 

 

66

住む町から50キロほど離れた海にきた。さびしい場所だった。土曜日の昼だが、歩く人は私以外おらず、ただ都市から都市へ向かう車が時折通過するために現れるだけだった。夏らしく、人はいないが全てが色濃かった。空の青に雲の白。電車の赤。山の緑。太陽。川の水。車を運転しながら感じていたが、いわゆる都会を離れると自然が恐ろしい勢いで迫ってくる。近くにあるのに遠くに感じ、遠くにあるのに近くに感じ、フィルムを通して観ているようにぼやけながら、輪郭ははっきりとして個々が主張してくる。ああ、夏だ。夏がきた。とボケ老人のような感想を呟きながら、なすすべなく感動していた。歩きながら、中上健次の書く、「夏芙蓉」を想像した。目につく大きな百合が夏芙蓉だったらと思った。

65

今までの自分の思考と行動の関係は、思考が先にあって、ゆっくりと行動につながっていた。ところが最近は全くの逆で、思考より先に行動になっている。良いか悪いかを比べると悪いと感じている。「考える手を持て」と言われたことがある。訓練によって自然と手が動く状態。職人が恐ろしい速さで精巧な作品を作るように、手が全てを知っている状態。これは素晴らしいと思う。私の場合は、自分の身の丈に合っていない行動。どうしてこんなことになっているのか、分からない状態だ。ハッと気づき手を見ると血が...のような、自暴自棄に近い状態。

「こんなはずではなかった。」と感じる時間が多くなった。しかし、どんな状態を望んでいたのかと問うと、そんな望みのある状態は特にない。楽器がうまくなりたいとか、ちゃんと素直にお話したいとかそんなところだ。

「自分なんてない」と感じる時間も多くなった。他人に対する無関心さが自分に対しても出てくるようになった。色濃くなりたいと思っていた時は、自分がどんどん透明になって誰もこっちを見てくれなかったのに、透明になりたいと願えば、どんどん色濃くなっている。

昆虫の身体の変化。幼虫がさなぎになり、成虫に至る時、もし昆虫に繊細な感情があったら、どんなことを感じるのだろうか。大いに矛盾を感じるのだろうか。いつの間にか身体に変化がやってきて、自分の意志では止めることのできないと分かった時、矛盾と虚無と絶望を抱くのもいるのではないだろうか。

時間が背中に迫ってきている。毎日、先の見えないジェットコースターに乗っているように、加速し、いろんな事象が迫っては消え、また現れる。加速を感じながらも、自分が前進しているのか後退しているのか分からない。

近くにいた人が、離れていく。今までいなかった人が現れた。私のあずかり知らぬところで話だけが進んでいた。突然泣かれた。理由は分からない。

64

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。を職場において誰に言えばいいのかという問題が毎年やってくる。これは全員にするのか、どの順番で言えばいいのか、どうしても言う機会がない人にどう伝えればいいのか等々、挨拶ひとつで色々考えてしまいどうしようもできなくなる問題だ。とりあえず偉い人には先に言っておこうと思って席に出向いて伝えたが、そのあと誰に伝えていけばいいのかやはりわからなくて混乱しながら席に戻った。偉い人の近くに席にある人にも伝えたほうが良かったのだろうか。しかし挨拶した人の近くの人に挨拶をしていくと、結果的に広い職場を一周することになるのでそれも考え物だよなと思い、ひとまず自席に戻り周りはどのように挨拶しているのか観察して行動を起こそうと思った。自席に戻って気が付いたのだが、偉い人の席に近い人は私が偉い人に挨拶をしていることに恐らく気が付いているのでどうしてそのまま自分のところに挨拶にこないのかと思っているかもしれない。私が自席に戻って観察後また立ち上がりその人に挨拶に行くのはどうも不自然だし、そんなに幅の広くない通路をうろうろするのも気が引けてしまう。自席から周りを観察するとみんな挨拶の達人らしくさらりと挨拶をこなし、挨拶なんがで気を揉み戦略を練っているような感じではなかった。自然体という私には最も遠い言葉を見事に体現されている。どうしようかと悩んでいる内にいつの間にか終業時刻になっていて、結局偉い人以外に明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。を自分から言わなかった。こうして文章にするとくだらなくて笑ってしまったが、年始の挨拶に限らず色んな場面で上記のような悩みを抱えて過ごしているので結構私にとっては深刻な問題である。

 

 

63

私が用事で外出するとき、私が行きたい方向の地下鉄がいつも改札を通るか通らないかのところで出発する。乗り場に到着すると同時にスムーズに地下鉄に乗りたいのに、アナウンスと地下鉄の音と地下から吹き上がる生ぬるい風を受け止めながら「ああ、また行ってしまうのか」と思いながら改札を通る。もっと考えて家を出ればいいのだろうが、最近は運試しみたいに考えていて、スムーズに乗れればその日は運が良く、逆であればあまり良くないと思うようにしている。つまり今のところあまり良くない日しか過ごしていない。一番良く使っている最寄駅だけタイミングが合わないのは何か相性が悪いのだろうな。お供え物が必要なのだろうかと、次の地下鉄を待ちながらぼんやりと考える。

移動中漫画版の「五色の舟」を読む。戦時中の見世物小屋の一派が牛と人間の合いの子である「くだん」を仲間に加えようとして一悶着起こる話だ。「くだん」は主人公たちが引き取る直前に軍が徴収してしまう。その時トラックの隙間から見えた「くだん」と目が合った主人公と仲間の桜は、その日以降、小屋の仲間が次々に別の舟を乗り換えて行く夢を見る。「くだん」の話によると歴史は一つの内海で、そこに浮かぶ舟がそれぞれの世界と歴史の航路を持っている。つまり日本に原爆が落とされて敗戦するとは別の世界が存在し、「くだん」はその人が望む世界に連れていくことができる。話の途中で「くだん」を敵国が攪乱の為に送り込んだ兵器と信じる軍人が発砲し云々穏やかではない展開になる。

 

楽器のオイルを購入し、「敵国降伏」とデカデカと書かれた神社に向かう。長い参道の両端には出店がたくさんでていた。下火になったのに「ハンドスピナー緊急入荷!」という看板が掲げてあり店主が在庫に困ってる姿が目に浮かんで笑ってしまった。参拝の長い列に並びお参りする。正月が終わった。

 

 

62

一日の朝に見たことのない糸目の少女と仲良くなる夢を見て良い初夢だと思ったのに、初夢は一日の夜に見るものというのをツイッターで知ってがっかりした。そして一日の夜に見た夢は知らない定食屋で何を頼むか悩む夢だった。丼ものが食べたかったのに定食と酒のつまみしかなく、何を食べるか悩んでいる横で店員がずっと待っているので焦って余計に決まらないという日常のささやかなストレスの夢だ。正月からリアルな夢を見せないでほしいし、もうちょっと何かを暗示させるような夢が見たかった。夢と言えば一時期夢占いにドはまりしていることがあって、朝目が覚める度に夢を思い出し夢占いサイトで調べていた。夢さえ分析できれば自分が何者なのかわかるのではないかと思っていたが、毎日脈絡のない夢を見続けるのでその時に一喜一憂するだけで結局何も分からなかった。同じ時期に毎日神社に行きおみくじを引いていた。人生が少しでも好転するきっかけがあればと結構切実な想いで神社に通っていた。しかし大吉であろうと吉であろうと何も変わらずフラットで確実に下降気味の毎日でさすがに神の存在に不信感を抱き始めていた。ある日鬱憤がピークにきていて神社で手を合わせながら罵声を浴びせたところ、さすがに憐れんだのかその日はしばらくご無沙汰だった「大吉」を引くことができ「お、神優しいじゃん」とまた神の存在を信用することができた。夢占いとおみくじは共にノイローゼでかつ完全に無職の時期にはまっていたので今思えば誤った方向への情熱だったなと思う。今朝は初夢で食べれなかった丼ものを食べるべく、お値段高めのハムを厚切りにしてハムカツ丼をお腹いっぱい食べた。このような自分を満足させるための具体的な行動をしていきたい。