61

月曜日、7時に起床。頭がボーッする。奇妙な夢を見た気がするがよく思い出せない。

昨夜から雨が降っていたので、窓を開けて寝た。雨音を聴きながら寝るのは気持ちがいい。うとうとしながら雨音を聴くと、布団にもぐりこむ自分と雨だけが世界で唯一存在していて雨に守られているように感じる。

誰もいない広い空間は悪くない。小学校の体育館で寝っころがるのが好きだった。天井は遥か高いのに、その天井に吸い込まれそうな気がした。布団の中で雨音を聴いている時も、体育館のように広い空間で寝ているように錯覚する。上下左右のない、真っ暗なのに明るい空間に私は横になり、周りに雨がしとしと降っている。

60

日曜日、10時に起床。うどんを作って食べた。金曜日は仕事終わりに会社の送別会だった。酔っぱらってまた余計なことをべらべらと話した気がする。土曜日は風邪が悪化し日中家にいたが、夜中、少し調子が良くなって散歩をした。散歩ついでにお酒が飲みたくなってガストに入りワインをデカンタで注文し、完全に酔っぱらった。お酒を飲んだからか異常に寒く感じ、コンビニで温かいお茶を飲みながら帰宅。そのまま布団に潜りこむ。そして日曜日、風邪が悪化する。今日も一日家にいるつもりだ。ビールを飲みながら「禁じられた遊び」を観た。絶対子供が親に隠れていやらしいことする映画だと思っていたがぜんぜん違った。ミシェルとポーレットが水車小屋に様々な生き物の墓を造るのだけど、墓というより2人だけの世界を作っているようだった。いけないと思いつつも教会の墓場から十字架をたくさん盗み、装飾をほどこし、無数にできた墓場をうっとりとした表情で見つめるミシェル。実際美しい墓だと思った。死のじめっとした陰気臭さがなく、純粋な信仰(神に対してだけでなく誰かに対する慈しみ)から生まれた、どこか哀しみのある美しさがあった(もちろん作ったのは映画の制作部だけど)

 

 

 

59

水曜日、6時半に起床。7時に立ち上がる。外は大雨で、風が強く吹いていた。いつから降っていたのか分からないが、夜中に起きて嵐に気が付きたかった。真夜中に嵐で目が覚めるのが好きだ。普通なら起きることのない時間帯にふと目が覚める瞬間、部屋は暗く静かで、今は何時なのか、何故目が開いたのか少し混乱しながら上体を起こし窓を見ると、寝る前は何ともなかったのに、狂ったように風が吹き、雨が窓を叩き、電線は揺れる光景を見るのは、眠気も相まって夢の延長線上にいるように錯覚する。私のベッドは上体を起こすと首だけで窓の外を見ることができるのだが、身体が隠れるので外を覗いているような気分になる。こそこそ覗くのも、悪い秘め事をしているようでワクワクする。安部公房の「箱男」で「見ることに愛があるが、見られることには憎悪がある」という文があったような気がするのだけれど、今ざっと探したのだがどこにあったか分からない。ベッドから外を覗く時、思い出の世界に浸るような懐かしさと愛着を感じることができる。そして新聞配達等のあまり人が出歩かない時間に活動している人を一方的に見ることに興奮と優越感を抱く。

ガラス一枚通して、また、身を隠して見るだけで対象に対して余裕ができるのは小学生の頃の「バリア」に近い気がする。「バリア」と宣告すれば相手からなにされても「バリア張ってるもーん」で通せば無敵なのだ。相手からすれば理不尽だし無視すればいいのだが、何故が言われると泣きそうになったし、言うと優越感に浸ることができた。実際には何もない「バリア」で無敵になれるのだから、ガラス一枚通して隠れて見ることは無論無敵であろう。

 

安心は心に余裕を生む。上記の愛着も興奮も優越感も安心があるが故に感じられるものだと思う。不安は緊張を生む。いくら身を隠しても不安であれば愛着も興奮も優越感も抱きにくいだろう。私は常に不安だ。不安な要素が数えきれないほどあり、その状態に慣れ過ぎて不安でない瞬間に不安を感じるようになった。不安の解消法はひたすら手を動かしたり酒を飲んで歩いたりなのだが、そうすると感情がジェットコースターのようにうねり世界がキラキラ輝きだすのだ。しかし醒めた後に襲ってくる虚無がどうしようもない寂しさを引き起こす。感情はどうしてこんなに苦しいのか。楽しいことも勿論あるのだが、基本的に苦しい設定がなされている気がする。私の振れ幅が大きいだけなのかもしれないが。感情の基本設定にある「愛」が一番しんどい。なのにポジティブ面してるのが納得がいかない。

 

うおおお眠気が凄いので寝る。

58

火曜日、6時45分に起床。昨夜の残りのカレーを食べる。朝が寒くなってきていたので厚めの長袖を着ていて正解だった。

通勤と昼休みや空き時間に読む本はもっと気楽に読めるやつがいいなと思い、中上健次のエッセイにした。中上健次を初めて読んだのは大学4年の時で「枯木灘」だった。「岬」から読めばいいものを、その時は何も知識がなくてとりあえず100円で並んでいたやつが枯木灘だった。初めは少し読みにくかったが徐々にのめり込むようになり、一時期、中上健次泉鏡花しか読まない時期があった。

 

仕事終わりにサイゼリアでワインを飲んだのにあまり酔わず、お腹も特に空かなかったので本屋をぶらぶらし2冊購入。またぶらぶら歩き、疲れて喫茶店に入った。一人で笑い続けるおっさんの隣でアイスティーを飲み、また歩く。歩くと頭がよく回って楽しかったり、寂しくなったりする。

 

 

 

 

57

月曜日、6時半に起きる。朝から動悸がした。身体が出社を拒否している。気合を入れる為にさんまの蒲焼の缶詰を卵でとじてご飯に乗っけて食べたのだが、お腹がいっぱいになったからか脈が大きくなって動悸がさらに酷くなった。仕事が始まると顔がどんどんこわばって、口はからからになり、左肩が冷たくなって、ここまで来るとほんとに集団行動がダメなのではと悲しくなってきた。労働ではなく、それ以前の集団行動がうまくいかないのは社会に溶け込むのが難しいことを暗示しているのではないだろか。

 

コツコツ丁寧に積み上げることに憧れがある。もっと言うと静かに積み上げたい。静かに少しずつ積み上げたい。「じゃあ積み上げればいいじゃない」と言われるだろうが、何を積み上げればいいのか全く分かっていない。本物のレンガを積み上げたら大変なことになる。河原で石を積み上げると怖いおじさんがやってきて崩してしまう。

友人が編み物をしているのを見て良いなと思った。熱心に作業をしてる人の横顔は美しいし、手元は見ていて楽しかった。毛糸と棒(なんていうのか分からない)をこねこねするといつの間にか形ができている。「いつの間にか」という言葉が好きだ。「いつの間にか」と「コツコツ」はセットだと思う。「コツコツ作業をしていたら、いつの間にかこんなのが出来上がってました」なんてちょっと間抜けでかわいい。

 

 

56

日曜日、10時半起床。練習に行くのをあきらめる。二日酔いは無いが身体が若干だるい。

死にたさと淋しさがピークに達しているのでウルトラしんどいのだが、今がピークということはだんだん緩やかになるまで我慢をしている。気を紛らわす余裕ができるか、何が別の問題が発生するだけで解決するわけではないのだけれども。社会の教科書でよく見た景気の推移のグラフのようのうねりに、毎日心と体調が左右されている。

お酒は優秀だ。一時的だが手ごろな価格で気持ちを楽にしてくれる。昨日フォロワーの方から「酔うと全てを愛せる気がしませんか。」とリプライをいただいたのだが、まさにその通りで、お酒に酔うと目に映る全てが素敵なものに変わり、捨てられた空き缶でさえ愛おしくなる。

 

 

 

55

水曜日、6時半に起きるもまた7時まで寝た。うどんは失敗するという反省を生かしてご飯と卵焼きにする。お湯をかけるだけのみそ汁も食べた。起きてから身体が妙で、今日はうまくいかない日だなと思いながら地下鉄まで向かい、地下鉄に揺られながら、今までうまくいった日なんてないじゃないかと思い直した。地下鉄は今日も客でいっぱいだった。そんな悲しい顔をして仕事に行くぐらいなら歌川国芳の寄せ絵をみんなでやろう。寄せ絵と同じ手法で人体地下鉄を作るんだ。ドアも壁も天井も車輪も全て乗客で作ろう。駅に着くたびに、乗客が度肝を抜かされるも仕事に行かねばならぬので、ためらいつつも乗ってくる。しかし、乗ったが最後、乗客は次々に地下鉄の一部になっていき、終点につくころにはいつの間にか始点の駅まで地下鉄が伸びていて、身動きがとれなくなってしまう。「やれやれどうしたものか、困ったことになったぞ」と地下鉄は呟いた。一人一人の乗客からできてはいるものの、すでに意識は総体として出来上がっており、一つの意思を持ってるのだった。地下鉄は様子を見に来た野次馬も、通報でやってきた警察も消防も、マスコミも駅員もみんな取り込んでいって、とうとう地下鉄の先頭が最後尾に届くようになり、12.7kmの一つの細長い円形ができあがった。ますます身動きができなくなり、哀れな地下鉄は、車両の一部となった乗客の記憶を探り、その中にあった美しい風景を夢想することで慰みを得ていた。次第に「記憶探り」はエスカレートし、記憶の中にあった美しい女性に恋をしてしまった。地下鉄は夢を見た。夢の中で地下鉄は一人の男となり、恋をした女性と、乗客の記憶にあった草原を歩いていた。その頬に触れたいと強く願ってもまるで縛られたように手が動かなかった。もどかしくて自分の身体をみると指一本一本が裸の人間でできていた。驚いて声をあげ、走り出した。川にたどり着き恐る恐る覗き込むと顔のパーツどころか皮膚まで全て人間の集合体だった。絶望した地下鉄は川に飛び込み沈んでいった。深い川だった。どこまでも底が見えなかった。上を見上げると愛おしい女性が覗き込んでいた。女性は笑っていた。ただ一言、愛していると伝えたくて、もがいているうちに光がどんどん遠退いて、こと切れる直前に一瞬記憶の中の誰もいない草原が現れた。そこで地下鉄は目が覚めた。暗いコンクリートと人体で作られた自分の最後尾が目の前にあるだけだった。もう何度このような夢を見たのか、何度目が覚め絶望したのか、溜息をつき、地下鉄が地下鉄らしく、線路の上でじっとした経験を基に井伏鱒二山椒魚を書き上げたらしい。