27

時間が止まったような街に行った。人もいて車も多い街なのに時間が止まって輪郭がぼやけていた。小さいころから何度も行っている街なのだが、何も変わらない。もちろん建物は建て替わるし住んでる人も歳を重ねていて変化はあるのだけど、街の雰囲気だけはいつも蜃気楼のような曖昧さに包まれている。山に沿って家を建てるからか、地形に合わせるために建物に統一性がなく、道は細く曲がりくねり、少し開けるとすぐ荒れ果てた墓や、崩れた神社がヌッと現れる。家も、道が細いからだろうか、改修や取り壊しがされていない古い木造家屋や空家が多い。どこにたどり着くか分からない道を恐る恐る進むと、古い空家の窓の内側に蜂の死骸と生きているがもう長くないだろう蜂がびっしりと張り付いていたし崩れた家屋の隙間から和式便器の白さとじめじめとして暗い場所に似つかわしくない蛍光色の塩素の容器が見えてぎょっとした。植物に覆われ土地と一体化しているとしか思えないものに、人のいた形跡を見つけると生々しく、一層不気味に感じられた。

 

 

 

26

 一週間土日に希望を抱いて仕事をしているのだけど、いざ土日になると溜まった感情が爆発してあたふたしていつの間にかこんな時間になっている。自由に使える時間がたくさんあって喜ばしいはずだしやることもたくさんあるのに急に腹立たしくなって床を踏み鳴らし私一人しかいない家で誰にも向けられていない憎悪の言葉を叫んでいる。救われたくて何かをしても手につかず、そもそも好奇心が死にかけているので行為とフィードバックに対して喜びが薄く、手を動かしても同時にやるせなさと虚無感に苛まれ、腹立たしくなり、結局何もかも放置して物に当たることが多くなった。お陰で机の引き出しが大分曲がってきている。物に当たっても何も解決しないということは承知なのだが、もはや何を解決すれば暗澹たる気持ちがなくなるのかが分からず、考えれば考えるほど底へ底へと堕ちていく。我儘と思われるだろうが救ってくれと声を大にして言いたくて、でもそんな迷惑なことを口が裂けても言えるわけがなく、せめて擬似的にでも安心感が欲しくて、仕事が終わればすぐさま酒を飲み、酔ってしまえばいち早く布団に入り人と寄り添う妄想をし、まるで相手がいるかのように「海に行こう」と囁きのような呟きをし、朝目が覚めればパソコンを起動し、せめて笑って忘れたいと仕事の時間までyoutubeで漫才をひたすら流している。

 

 昨日、九州交響楽団定期演奏会に行った。もうしばらく行ってなかった。知っている人に会うのが怖くて、しかもそういうところで会う人は全てを見透かされそうでずっと避けていた。ラインホルト・フリードリッヒというトランペット奏者がソリストとして招かれることを知ったのは一月程前で、何気なく九響のポスターを眺めていた時だった。初めて生で聴いたのは4~5年前に教会で行われた公開レッスンだった。心が奪われるとはこういうことかと実感するほど感動した。私は素晴らしい演奏を聴いた時、心がフッと柔らかい風に運ばれるような気がするのだけれども、それは当時の話で、一度そうした心の動きがただただ辛い時があり好奇心や感動といったものに蓋をした。その結果、不思議と景色が平面に見えて感慨というものが薄くなった。そしてそれは味気なく無味乾燥としていて、身体からどんどん感情が染み出しなくなっていくように感じ次第に恐怖にかわっていった。それらを取り戻すのは難しいだろうなと感じながらも、今日の演奏で心からの感動ができるならばと淡い期待を抱きながら、できるだけ人目につかぬようにと確保した三階の端に席から次々に流れ込む客を眺めていた。

 

 帰り、下品な男2人が「所得税を払ってるんだから生きる権利だってあるんだ」と大声で叫ぶのを聞きながらうどん屋でうどんを啜った。町は酔っ払いで溢れていた。屋台はどこも人でいっぱいだった。コンビニで酒を買い、歩いて帰った。湿り気のある空気が梅雨の到来を予感させる。城跡を過ぎ、公園の林に入ると男女が歩いていた。2人とも酔ったような足取りをしているが、雰囲気は暗く、話し声はあまり聞こえなかった。仲が悪いわけではなく、現状がどうしようもなくなってきていて、それによって愛が揺らいでいるような微妙な雰囲気だった。それをできるだけ遠くから眺めていた。女が男を見るときは男は前を見据え、男が女を見るときは女は下を向き、しかしもし目が合うとどうすればいいのか分からなくなる、そんないじらしいすれ違いを繰り返してた。街灯によって時々照らされるお互いの横顔が美しかった。2人を眺めながら林静一の「赤色エレジー」を思い返していた。一郎と幸子のどうすることもできない関係。明るくない将来を薄々感じながらものめり込んでいく2人。あの切なさとやり場のなさは辛いこととは分かっていても羨ましく思う。

 

 

25

晴れ。気温が高い。初夏。

 

大体同じ時間に役所に行き、書類を出したり回収したりしている。それが一日の最後の仕事の1つで、1人で外出のため心が落ち着く時間でもある。仕事を終え、役所を出てバスを待つ時、いつも「職場に戻りたくないな」と思ってしまう。職場は人がたくさんいて、なおかつ話しかけてくるし、電話もかかってくる。こちらから話しかけるにしてもタイミングを間違えば相手が不機嫌になる。非常に高度な難易度を持つダンジョンのような場所だ。最近入った社員が電話を素早く取り対応をするのを見て、漠然と電話のコール音に怯える人なんかいないんだなと思った。「普通」がこんなに難しいものだとは思わなかった。1人で外出した時、何で私はできないのだと思い泣きそうになってしまったのだけど、すぐさま第二の私が「自己憐憫とか気持ち悪すぎる。思い込みで人に迷惑かけるなよカス」と言ってきた。第二の私は言葉は悪いが正論を言ってくるのでなるほどとなることもある。例えば「かわいい女の子は何をしても絵になる。いるだけで価値があるな」と思うと「お前は人に価値があるかないかの判断をしてるのか。最悪だな」と突っ込まれる。意外とバランスよくできているような気もするが、第二の私は一体どこから発生したのか分からないし、いつからいるのか分からない。そもそも私は一人なので独り言なのだけど会話をしているような気になる。とても口が強くいつも言い負かされるのでうるさいなとも思う。バス停など、ボーッとする時に会話することが多い。

 

バスに乗る。

 

極楽寺行き」というバスが来ると少し嬉しくなる。極楽寺がどこにあってどんな寺かは知らないが、極楽に近い場所に連れて行ってくれるなら大歓迎だ。バスから降りて後ろ姿を暫く見送ると「ああ、これから極楽に向かうのかぁ」とただのバスに希望を抱く。エリックワイルダーの作品の「象のエフィー」の四楽章に「エフィー、謝肉祭に行く」という曲がある。私はウキウキしてる象の後ろ姿を見送っているような気持ちになって好きなのだけど、そのウキウキ感が極楽寺行きのバスにも感じられる。見送ることに淋しさがあるのだけど、行ってしまう人や物に良いことが起きる気がして希望が湧いてくる。

24

5月9日はアイスクリームの日らしく、サーティーワンアイスクリームが安売りをしていた。普段サーティーワンなんか買わずに森永のビスケットアイス(80円ぐらい)を食べるのだが、せっかく安いし食べるなら友達と食べたいと思って買いに行った。私は1人が好きではあるが誰かと食べたりお茶をしたりするのが元々好きだ。特に友人は雰囲気や声に不自然さがないので落ち着いて話すことができる。不自然さ(私が勝手に思い込んでいるだけなのだろうが)があるとそこばかり気になって緊張してしまう。人から見ると恐らく私は不自然の塊だと思うのだが、だからこそ自然で伸びやかな人に憧れをもってしまうのかもしれない。

アイスを食べ各々だらだらとしてたのだが、友人の部屋の居心地がとても良く感動しつつ、自分の部屋を思い返して情けなくなると同時に、自分の過ごす部屋なのだから自分の居心地の良いようにするのが正しい姿勢だと感じ、それから毎日「居心地の良い部屋」という抽象的で曖昧な理想を生み出そうと苦心しているところである。この試みのお陰で大量のモノを捨てることが出来た。中学・高校時代の手紙やプリクラ、証明写真、受験票、色紙など、過去がたくさん引き出しからでてきて、それぞれを恐る恐る覗き込み、実際にこれを渡してくれた人がいて受け取った私がいたことが感慨深く、過去のこうした手紙やそれに付随して起きていた物事が私の人格を作り上げているものの一つであるとは理解しつつも、それらの思い出には他人の出来事を映像で見ているような現実感の無さを感じてしまう。しかし良くも悪くも当時の感情の動きは生々しく思い出すことはでき、一つ思い出すと芋づる式にどんどん思い出が感情と共に溢れてくる。現実の引き出しを開けるごとに頭の引き出しも開けられていく。大量の手紙や色紙を読むと、過去に出会った人が、今の私に話しかけてきた。窓から夕日が差しこむ日曜の学校の廊下の切なさが、夏の教室の窓から運動部をボーッと眺めた時の気怠い雰囲気が、部活の疲労感と共に思い出される。今の私が当時の学校の制服を着ていて、送り主は当時の姿のままで私に話しかけている。不思議で心地良いのだが、過去は絶対に二度と過ごすことのできないという事実が招く哀愁と愛おしさが身に沁みる。私は不義理をし過ぎた。

23

酷い頭痛。今日は雨が降ったから黄砂が流れたし風が気持ちいい。

 

村田沙耶香の「コンビニ人間」を読んだ。主人公の古倉恵子は18年間同じコンビニバイトを続けている。趣味はなく自己と他者への関心や共感が薄く、感情自体がうまく理解できない彼女にとってコンビニのシステマティックに稼働する世界が唯一の安息の場所と感じている。コンビニバイトである理由をいかに当たり障りのないもっともな理由を妹に考えてもらうのだけど、同級生とバーベキューをしている時にぽろりと出た本音とまわりの反応が、身に覚えがあって苦しくなった。

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(結婚について)

 「いや、早いほうがいいでしょ。このままじゃ駄目だろうし、焦ってるでしょ、正直?あんまり年齢いっちゃうとねえ、ほら、手遅れになるしさ」

「このままじゃ……あの、今のままじゃだめってことですか?それって、何でですか?」

 純粋に聞いているだけなのに、ミホの旦那さんが小さな声で、「やべぇ」と呟くのが聞こえた。

 

コンビニ人間 p76より

 

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主人公はこういったやり取りに対して「正常な世界はとても強引だから、異物は静かに削除される。まっとうでない人間は処理されていく。」と理解している。主人公にとって社会というシステムそしてコンビニというシステムの部品になることが重要であり、システム上問題のあれば削除され、何事もなかったかのように修復されるので、そうならないために正常なように繕うようにしてる。

 

物語の重要人物として「白羽」という男がコンビニに現れる。白羽は自意識が強く自分が社会から認められないことに強く不満をもっており、働く人間を「底辺」と罵る。主人公とは似て異なる存在で、主人公は恋人がいままでいなかったことや正社員でないことをコンプレックスとはとらえておらず、「何故そうなのか」と聞かれたときにうまく答えられないと正常ではないと判断され削除されてしまう可能性があるから、それらの質問が煩わしいと感じている。しかし彼は、30代半ばでバイトであることや恋愛したことがないこと、童貞であることをコンプレックスに感じており苦しんでいた。彼はそれらの苦しみをもたらす人達を見返す為に結婚したいと考えていて、主人公を「処女でも中古で薄汚い女」と罵る。肥大した自意識故に主張の矛盾に気がつかない。そこからすったもんだがあるのけれど、気になる人は買って読んでね。

 

 

私はどうしても、何の作品でも自分と登場人物を重ねてしまう。共感できる登場人物はなりたい自分で、嫌だなと思う人物は今の自分に近い存在だ。主人公の古倉恵子の考え方は自意識に苦しむ自分にとってとても羨ましいと思ってしまった。主人公は明らかに欠如しているものがあるがそれ故に純粋に生きることができて、まるでガラスで仕切られた清潔な空間に住み続けるような印象があった。純粋であることは異常だ。極端な例だが、特攻隊は純粋に勝つという目的を達成するためには非常に合理的な戦術で、物資が劣る中でかなりの損害と恐怖を相手に出すことが出来た。主人公も純粋に合理的に物事を行おうとすると高い確率で異常な行動をとっている。エピソードとして、小学生の頃に喧嘩をしている同級生を止めろと言われ、確実に止めれるという理由でスコップで同級生を殴ることで動きを止めさせている。異常ではあるが「止める」ことを確実に実行するには非常に合理的だ。

 

白羽は社会システムが機能していないために自らは不当な扱いを受けていると主張している。彼はビジネスのビジョンがあり、起業すればすぐに女が寄ってくると力説するがそのために資金を主人公に出させようとする。恐らくビジョンは無く、仕事をしないのも肥大した自意識のために傷つくことを病的に恐れているからだ。現状が自分のせいであることが分かっているのにそれを認めることに耐えられなくて、社会のせいにし、人を見下す。苦しむことに耐えられなくなり存在を社会から隠してほしいというが自殺はしない。

白羽の気持ちは私も身に覚えがある。嫌々ながら将来的には同じ様になる可能性があるなと思い同情さえもしてしまった。恐らく彼に愛する人が一人でもいたら、思想も行動も大きく変わると思うのだが、残念ながら彼は自分にとっても世間体的にも都合の良い女しか得ようとせず、感受性が豊かなのに情緒が一切ない。

 

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「外に出たら、僕の人生はまた強姦される。男なら働け、結婚しろ、結婚したならもっと稼げ、子供を作れ。ムラの奴隷だ。一生働くように世界から命令されている。僕の精巣すら、ムラのものなんだ。セックスの経験がないだけで、精子の無駄遣いをしているように扱われる」

「それは、苦しいですね」

「あんたの子宮だってね、ムラのものなんですよ。使い物にならないから見向きもされないだけだ。ぼくは一生何もしたくない。一生、死ぬまで、誰にも干渉されずにただ息をしていたい。それだけを望んでいるんだ」

 

コンビニ人間 p100~p101

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疲れると誰しも一度は「息だけをしていたい」と思った経験があるのではないだろうか。これを実現するために彼は主人公を利用し生き生きとし出すのだが、ある意味純粋なのかもしれない。

 

身に覚えがある会話や違和感を綺麗に文章で表現されていたのでうわーこれは辛いなぁとかわかるわかるとか独り言を言いながら読んだ。帯に50万部突破と書いてあるのだが主人公や白羽に共感する人(白羽は共感はせずとも心情は分かるかもしれない)はどれほどいるのだろうか。印象に残る作品だった。

 

 

 

 

 

 

22

快晴が続くが唐突に大雨が降る。雷も鳴る。

初夏のわくわくする日差しが気持ち良い。空もどんどん高くなる。冬の低い空も好きだが夏の高い空はもっと好きだ。海が上にもあるように感じて嬉しくてしょうがない。「空が高い・低い」とはどういうことだろうか。感覚的に空は高かったり低かったりするのだが、そもそも空は空間であって天井みたいな仕切りではないのだから、上下するわけがない。何となくだが、冬は色が濃くそして固くなるが、夏~秋は色が淡く柔軟性がある気がする。物質的になにか変化はあるのだろうか。ほこりや黄砂は影響しているかもしれない。

 

昨夜、18時前に晩飯を食べたので夜中に強烈に空腹を感じコンビニへ向かった。南へ歩いて気持ちが良いので空を見上げると、西の空の低い所に巨大な月が見えて思わず声をあげてしまった。月は緩い弓なりで、クレーターが見えるほどはっきりしていた。「デカい!デカい!」と言いつつ、腹は減っているのでコンビニにいそいそ入り、おにぎり100円フェアが終了していることに若干の哀しみを感じながらレジを通し、ほおばりながら西にある少し丘になっている住宅街へ急いだ。暗がりで性行をしてる大学生に驚きつつ、丘に登るも月はすでに消えてしまっていた。コンビニを出てから丘まで20分と経過していないのにもう月が落ちてしまったのか!?空腹なんか無視して月に向かえばよかったと後悔しつつも諦めきれず、丘を下りさらに西のもう少し開けた場所に向かった。開けたところは車も通らず人もおらず、目の前には水を張った田とささやかな小川があった。遠くの都市高から聞こえる車の音と、虫の鳴き声と蛙が田んぼに飛び込む音が聞こえる。しかし月はどこにもなく、ただ黒々と広がる空には多くの星が瞬いていた。無限に広がる宇宙の存在と星の瞬きが何万光年も遠くからやっと届いた光なのかと思うと己の小ささを感じ、もう夜中の1時過ぎに26歳が何をしているのだろうかとより具体的な空しさに心が萎え、慰めるためにビニールから二つめのおにぎりを食べながら歩いた。性行中の大学生はもういなかった。満月の夜に全裸になり財布を月に向かって振るという団体がいたような気がするのだが、それならば月が出ている時に屋外で性行するのもエネルギーを得るための儀式のようでかっこいいなと思いつつ足元に纏わりつく子猫と遊びながら家路についた。自惚れとは思うのだが、夜中にコンビニに向かている時に巨大な月を見つけて興奮し、おにぎりをほおばりながら深夜の住宅街を徘徊するも何も見つけることができずに子猫と遊びながら帰るって女子高生とかかわいい女の子がするととても良い気がするので誰か漫画にして。panpanya先生~

21

ブログに仕事のことはあんまり書かないでおこうと思っていたのだが、一日の重要な時間を費やしていることなのでやはり考えることはあるし、もっとも今日の出勤途中にむくりと疑問が湧き上がったのである。

           

             「なんでこんなに疲れるの」

 

仕事してんだから疲れるだろバカかお前はと思われるだろうが、私は非正規であるが故に(正社員と比較して)プレッシャーのかかる仕事はしていないし何より定時退社である。18時には会社を出て家路につくのである。にもかかわらず、ええここまでぐったりしちゃうの?と自分でも驚くほど疲れている。具体的には自室の椅子に腰かけたら一瞬で1時間経過したりしており、その間何をしてたかと聞かれても虚空を見つめていたとしか答えられない。虚空を見つめて椅子に腰かけ1時間も経過するなんてわびしすぎるし、このままどんどん歳を重ねると思うとみぞおちがグッと縮み上がるので、仕事をしながら自分は何を考えているのか観察をしてみたのである。その結果、ほとんど無駄な気苦労に意識が支配されていることが分かった。3回ほど確認してカバンに入れたにも関わらず、もしかしたら無くなっているかもしれないという不安に襲われてまたカバンから出し確認し、移動中もちらちらとカバンの中を覗いてみたり、席に人が近づくだけで話しかけられるかもしれないと緊張が強くなったり、デスクで作業をするだけでその行動ひとつひとつがどう思われているかの妄想を(全てマイナスな方で)している。

これらの不安はほぼ的外れなものであり、今まで不安が実現したことがない。勿論他人にどう思われているかは分からないが人は他人にそんなに興味はないだろうとも思っている。不安はそんなに実現しないと分かっているにも関わらず負の感情に支配されてしまうのは私が完璧主義の気があるからだと思う。もっとスマートに仕事をしたいとか人に見られて恥ずかしくないようにしたい等の想いがとても強いし、要領が悪く頭も悪いことを隠したい。それらは結果として失敗したくないという想いになっている。失敗はとても怖い。小学校のころ、先生が授業中に「わかった人から手をあげていって」と言って分かる子と分からない子を可視化させていたのだが私は授業が全く分からない子だったので最後まで手のあがらないことが恥ずかしくて苦しかった。高校に入ってからは何をしても分からないと完全に諦めて赤点を取りまっくていたが見た目が頭良さそうに見えるガキだったのでええ、頭悪いんだという反応がまた苦しかった。

まあ、勉強してないから自業自得だよね。別に失敗してもいいやという気概が大事であると思うのだがそれは中々難しくて、失敗した結果を想像するだけで泣きそうになる時もある。社員と話す必要がある時に話した結果、どう思われるかを考えてしまう気苦労もしんどいものがある。これを聞いたらまた「は?」と言われるかもしれないとか、逆に指示を受けた時や雑談として話しかけられた時にうまく返せないとそれでかなり落ち込んでそれを引き摺ってしまう。

 

このような無駄な気苦労を仕事中の8割の時間、何かしらの形で考えてることが分かった。負の妄想をしている時は心ここに非ず状態だったので、ああ、こういうことかと客観的に感じることができたことは大きい気がする。やはり体力的には疲れてなくても緊張と不安が長時間続くとやはりぐったりしてしまう。全く仕事と関係のない人が言うには、私は何をするにも畏まって身構えて、力が入り過ぎているらしい。力が抜ければ生きやすくなるかは分からないが、力の入り過ぎはよくないことは分かる。当面の仕事での目標は適当になることと金を貯めることに決めた。