55

水曜日、6時半に起きるもまた7時まで寝た。うどんは失敗するという反省を生かしてご飯と卵焼きにする。お湯をかけるだけのみそ汁も食べた。起きてから身体が妙で、今日はうまくいかない日だなと思いながら地下鉄まで向かい、地下鉄に揺られながら、今までうまくいった日なんてないじゃないかと思い直した。地下鉄は今日も客でいっぱいだった。そんな悲しい顔をして仕事に行くぐらいなら歌川国芳の寄せ絵をみんなでやろう。寄せ絵と同じ手法で人体地下鉄を作るんだ。ドアも壁も天井も車輪も全て乗客で作ろう。駅に着くたびに、乗客が度肝を抜かされるも仕事に行かねばならぬので、ためらいつつも乗ってくる。しかし、乗ったが最後、乗客は次々に地下鉄の一部になっていき、終点につくころにはいつの間にか始点の駅まで地下鉄が伸びていて、身動きがとれなくなってしまう。「やれやれどうしたものか、困ったことになったぞ」と地下鉄は呟いた。一人一人の乗客からできてはいるものの、すでに意識は総体として出来上がっており、一つの意思を持ってるのだった。地下鉄は様子を見に来た野次馬も、通報でやってきた警察も消防も、マスコミも駅員もみんな取り込んでいって、とうとう地下鉄の先頭が最後尾に届くようになり、12.7kmの一つの細長い円形ができあがった。ますます身動きができなくなり、哀れな地下鉄は、車両の一部となった乗客の記憶を探り、その中にあった美しい風景を夢想することで慰みを得ていた。次第に「記憶探り」はエスカレートし、記憶の中にあった美しい女性に恋をしてしまった。地下鉄は夢を見た。夢の中で地下鉄は一人の男となり、恋をした女性と、乗客の記憶にあった草原を歩いていた。その頬に触れたいと強く願ってもまるで縛られたように手が動かなかった。もどかしくて自分の身体をみると指一本一本が裸の人間でできていた。驚いて声をあげ、走り出した。川にたどり着き恐る恐る覗き込むと顔のパーツどころか皮膚まで全て人間の集合体だった。絶望した地下鉄は川に飛び込み沈んでいった。深い川だった。どこまでも底が見えなかった。上を見上げると愛おしい女性が覗き込んでいた。女性は笑っていた。ただ一言、愛していると伝えたくて、もがいているうちに光がどんどん遠退いて、こと切れる直前に一瞬記憶の中の誰もいない草原が現れた。そこで地下鉄は目が覚めた。暗いコンクリートと人体で作られた自分の最後尾が目の前にあるだけだった。もう何度このような夢を見たのか、何度目が覚め絶望したのか、溜息をつき、地下鉄が地下鉄らしく、線路の上でじっとした経験を基に井伏鱒二山椒魚を書き上げたらしい。

54

火曜日、6時半に起床。うどんを作るも味が全くせず、麺も伸びて美味しくない。調理にとても時間がかかってしまった。これならばご飯にのりたまをかけた方が良かった。朝と夜のどちらが好きかと言われれば朝と答えると思う。夜ずっと作業したり喫茶店で過ごしていると好きな朝になる。みんなが起きている時間に寝て、みんなが寝ている時間に起きていたい。目が覚めると夕陽が広がっていて、そのまま東から色が深くなっていって、薄暮の中から星が瞬いて暫くすると月がよっこらせと出てきて、それらを眺めながら朝食を食べて部屋で仕事をするんだ。もちろん、誰かとお茶をするなら昼じゃないといけないのだけど、その時は徹夜するか少し寝て行こう。

余裕がある時は駅間の広い電車に乗ろう。到着したところで眺めの良いビルを階段で登るんだ。登っていくと窓からどんどん雲が近くなってきて、とうとう下が見えない遥か天空で、辺りは一面の雲の地面が、空には真っ青の海が広がっている。突然現れた重い扉を開くと、自殺した伯母が絵を描いていた。「ここは素晴らしいの。静かで、空気も澄んでてね。私、ここにこれてほんとに良かった。」とカンバスから顔も上げずに独り言のように言って、それを聞くとゆっくりと床が動き出して、私は伯母の背中を見つめたまま扉の外に運ばれて、いつの間にか行きの電車に乗っていた。電車のリズムは規則的に私の心臓に合わせて動いていて、ああ次電車が停まると私は死んでしまうのだなとぼんやり思いながら窓から外を眺めた。空は墨汁をこぼしたように暗いのに昼のようにものがくっきり見えた。電車に客は誰もおらず、電気もついていなかった。車掌がやってきて通り過ぎたと思うと、また戻ってきて、通り過ぎて行った。電車が広い川に差し掛かった時、長い鉄橋の上でゆっくりと電車が速度を落とし始めた。心臓が遅くなるのを感じて焦り、別の電車はないのかと窓をきょろきょろ見ると、川の先に広がる海に巨大な月が空に昇ることなく沈んでいた。これしかないと思い窓を開け、飛び出した。川に着水すると同時にとんでもない勢いで沈んでいき、見慣れた街が見え、まるで空から墜落しているようだと思った。上を見ると月が出ていて、星が瞬いていた。ぐんぐん街が近づいてきた。飛んでいるようで気分が良い。

53

月曜日、9時に起きた。意外とさっぱりした体調だった。食欲がなかったのでそのまま演奏会の会計と録音の編集をした。この作業はミラクル苦手なので結局昼過ぎまでかかった。昼食にキッチンにあった鯖の塩焼きを食べた。

一日のほとんどが作業になってしまったので何となく哀しくなってしまった。作業が終わったことを連絡するとすぐに受け取りたいとのことで外出する。台風の後の空と空気はとても澄んでいた。空と空気の中を泳ぎたいと思った。青空に手を浸して静かに水紋をたてたい。ひんやりしているのだろうな。

待ち合わせをし、成果物を渡して酒を飲む。ふくしま政美の書く筋肉が気持ちが悪いという話で盛り上がった。祖母に会わねばならないので早めに解散した。祖母の家に行き、少し話をした。

無性に歩きたくて遠回りして人気のない道を歩いた。昔から暗い道を歩く時、自分が周りの風景と同化しているような気がして嬉しかった。中学生のころまで住んでいたビルを眺めた。何も変わらないものを見ると懐かしさと共に安心する。

 

帰宅し風呂に入った。もう寝ようと思う。

52

日曜日、8時に起床。土曜日の夜中に観た「レオン」のジャン・レノの映画を観る時の表情が素晴らしかった。あんな大人になりたい。少なくとも冷静になりたい。実は今日の夜に必要な書類を紛失したことに気が付いてパニックになっていたのだが、家を出るぎりぎりのところで居酒屋に電話したところ、忘れ物で預かっていると言われ思わず大声で「うわー!」と叫んでしまった。1つ懸念があると全ての行動も思考もその懸念に集中してしまうからいけない。そしてパニックになって周りが見えなくなるのだ。そうなっている時「今自分はパニックになっている」という自覚を強く持つのだが、それだけでは制御できずに困っている。話が逸れるが普通のことを普通にこなしたい。大きな壁にぶつかるまでに細かい石につまずき続けている。

 

書類を居酒屋で受け取る為に少し早めに家を出た。台風ということで雨が強く振っている。録音機材が濡れぬように細心の注意を払いながらゆっくり歩く。私の革靴は底がすり減っているから滑るし、何よりスーツの裾がぐしょぐしょに濡れてしまうのを避けねばならない。

乗り込んだ地下鉄に人は多くなかった。到着した街の地下街も人は多くなかった。丁度良い人口密度で気持ちが良かった。無事に書類を受け取り、サイゼリアでワインとつまみを注文し、スパッゲティを食べた。サイゼリアも人がまばらで静かだった。

時間ぎりぎりまで居座り、教会へ向かう。今日は演奏会の手伝いの日だ。教会の職員にあいさつし、一人で静かな礼拝堂で準備を進めた。ひんやりとした空気と薄暗い礼拝堂は心が落ち着いた。

演奏会は無事に終了した。居酒屋に入りビール瓶を5本ほど飲んだ。寝不足と疲れがあったにも関わらずあまり酔わなかった。腹だけやたら膨れたので気持ちが悪かった。解散後、演奏者の一人ともう一軒居酒屋に入り飲みなおした。焼酎を飲み、程よく酔ったところで帰りの乗り物が無いことが判明し、歩いて帰る。三連休の中日にも関わらず台風の影響で夜も人はまばらだった。雨はもう止んでいた。台風はもう離れたはずなのに風だけはますます強くなっていた。ケヤキの木の下を通ると葉にたまった滴が一斉に落ちてきてその時だけまるで嵐のようだった。重い機材がじわじわ身体に影響が出てきて疲労で頭がぼんやりしてきていた。教会で出会った老婆を思い出していた。不安気な表情で椅子に座り、時折時計を見つめていた。話しをしてみると時間というものが分からないと言われた。「時計を見ても今が何時なのか分からないから、急いできたがどうやらまだのようだ。しかしいつまで待てばいいのか」とつぶやき途方に暮れていた。私も何も返事ができず曖昧な顔をしてその場を離れたのだった。時間は知り過ぎないほうが良いと思った。日が高いところに昇ればお昼だから、みんなでご飯を食べよう位でとどめたほうが健康に良いはずだ。細かい線に数字、常に動き続ける秒針にどっしりして重そうな短針、さらに刺されそうなほど鋭利な長針。時計と時間は心理的にも肉体的にも絶えず圧迫してくる代物なのだ。

疲労から変なことを考えているなと気が付いたのでタクシーを捕まえようと歩きながらちらちら道路に目をやると、一台のタクシーが私の近くに停まった。手も挙げてないのによく気が付きましたねと驚きを伝えると「目が合いましたので」と言われ仕事人だと感心した。タクシーは滑るように静かに発車した。タクシーから見える風景と歩いている時の風景は全く違うなと思いながら揺られていた。車から眺める景色は好きだ。枠のお陰で映画を観ているような気持ちになる。枠があるだけで良くも悪くも景色は一変するのだ。バウムテストを病院で受けた時、普通の紙に木を書いた後に別の用紙に医者が枠を書き入れ、そこにまた木を書けと言われた。不思議なことに全く手が動かせなかった。ただ木を書けばいいだけなのに枠が白い紙を異質なものに変えてしまった。結局、書き入れたのだが結構な時間がかかっていた。気が付かなかったのだが、医者はストップウォッチを手にしており、書き込むまでの時間を計測していた。環境の変化への心理的影響を見るものだったらしい。

 

帰宅しシャワーを浴びてすぐに寝た。大した仕事をしていないのに緊張した日だった。

 

51

土曜日、8時に起きる。病院に行かねばならぬので今日の練習はお休みする。今朝夢に見た後輩を思い出していた。明るいのだがコンプレックスを抱えているのが表情から分かる子だった。多くの不満を抱えつつも相手を傷つけるのを恐れているように見えた。決して大きくない身体を鍛えてシャツがはち切れそうになるほどの筋肉を獲得していた。どうしてこんなに筋肉があるのかとおどけたように尋ねると、「小学生の頃、いじめられていて見返す為に鍛えた」と言われ、同情すると共に笑顔の裏にある反骨精神が少し怖くなった。過去の経験によってが生み出された過剰な筋肉が、彼の心を少しずつ歪ませてるような気がした。実際、後輩の中でも少し浮いているように見えた。今は東京で働いていると聞いた。高校を卒業して以来会っていない。

 

朝食にソーメンを二束食べて病院へ向かった。雨がしとしと降っていた。風はそこまでなく、近づいているという台風の予感はあまり感じなかった。病院の待合室は相変わらずいっぱいだった。団地の側にある病院だからかいつも人が溢れ返っている。関西弁の母親が子供に宿題させているのを横目に神曲を読み進める。診察で処方された胃薬を飲むと胃が痛いと伝えると「恐らくストレスで薬では制御できないほど胃酸が出て結果的に胃痛の副作用が出ている」のようなことを言われてなんじゃそりゃと笑ってしまう。結局胃薬を無しにしましょうとなり診察終了。咳は止まってきたのでまあ良い。

薬局に行くまで傘を差さずにできるだけ雨に濡れないゲームをする。建物の軒を爪先立ちで歩いたり、ぴょんぴょん飛んだりしたが、濡れた。しっとりした状態で薬局へ。前回の薬はどうだったかと聞かれたのでとても美味しかったと答えたところ笑われてしまう。でもほんとに美味しかったんだ。食後、あの水薬を飲むのを楽しみにしていた。

 

帰って疲れてしまっていつの間にか寝た。夢は何も見ていない。起きて、雨は落ち着いていたのを確認して外に出た。近所の古書店にしばらく行っていないので探し物をしようと思っていたのだ。病院のある角を右に曲がり、小さな商店街の一番奥にある古書店に入ろうとしたが、先に入っていた顔色の良くない客が私と同じボーダーのシャツを着ていたので躊躇してしまう。店外にある100円の棚を眺めながら早く出ておくれようと心の中で願っていたが、中々出てくれないので痺れを切らして突入した。できるだけ棚の影を縫うように歩き息をひそめ、その客が出たところでやっと背を伸ばして探し始めたがすぐにその客が戻ってきてしまった。客も私を見てうわあという顔をして足早にレジに進み、100円の本を購入して帰っていった。結局探していた本は見つからなかったのだが、別の本を2冊購入。帰って先日購入した山田詠美の「ベッドタイムアイズ」を読んだ。叫びをそのまま文章にしたような出口のない物語だった。とても良い。

 

 

 

50

金曜日、6時半に起床。7時に布団を出る。昨日は雨の中を立ちっぱなしだったため足がだるい。そのかわりよく眠れた。地下鉄でダンテの「神曲 地獄篇」を読む。ウェルギリウスがダンテに地獄の分類と地理をダンテに説明するところ(第十一歌)で感動する。変なところに心が動くんだなと思われるかもしれないが、天体を図示したものを初めて見た時に感じた不思議な立体感と同じ印象を受けた。途方もない巨大な空間と建造物には異常な恐ろしさと好奇心を感じてしまう。現代に生きる私が恐ろしさを感じるのだから、当時の民衆はそれは一生懸命信仰するだろう。仏教の世界の仕組みも異常にデカい。光瀬龍の「百億の昼と千億の夜」に悉達多太子に梵天王が天上界の仕組みを語る場面があるのだが壮大過ぎて頭がボーッしてしまった。

 

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世界の中心、金輪の上に須弥山がある。その四周には香水海をたたえ、七重の金山、七重の香海をもってさらにその外周に鹹海がある。すなわち、あなたがたの知っている塩分よりなる海だ。最外周を鉄囲山がとり囲んでいる。鉄囲山はその名のとおり、鉄、銅、はがねよりなり、その岩肌は鬼神をもってしても超えることができないとされている。これを光速度世界の限界、とする解釈もある。

さて、太子殿。鹹海の中、東西南北に四つの大陸があり、南の閻浮提が人間の存在する。つまり、あなたがたの世界なのだ。

----------------------------光瀬龍百億の昼と千億の夜」p154、p155 早川書房

 

 小学生の頃から、宇宙のことを考えると自分がどんどん小さくなっていくような感覚がある。真っ白の空間に自分一人だけいて、シミのような黒い点でしかなくなる夢も見たことがある.。二つともその時は怖かったが今思うと圧倒的な何かを感じることができるのはそんなに悪いことじゃないと思う。この前も書いたが遠くにあるものや手が届かないものに対する不思議な憧れを抱くのだが、この感情は片思いに似ている気がする。これに苦さを加えるとそのまんま片思いになる。私の心を掴んで離さないものは私にとって圧倒的な存在だ。

 

そんなことを考えていたら仕事がまたうまくいかなかった。お金をもらっているのだからしっかりしないといけない。「こいつは使えん」と言われたが、それは事実なので出来る範囲でやっていくしかない。私はまだ人件費以外で会社に損害を与えていない。

 

仕事中にカバンの底から昨日のお祭りでひいたおみくじが出てきた。「中吉」と書かれたおみくじの内容は「努力すればなんとかなる」という至極真っ当なことが書いてあった。何故か「この日常のうまくいかなさは神罰かもしれない」と感じ、仕事終わりに神社に寄り、おみくじを結ぼうと決意した。祭りは日曜日まであるのでまだとても賑わっていた。雨が降っていないだけでこんなに気持ちがいいのかと感心し、屋台をぶらぶら見てまわった。おみくじを結ぶところを見つけ、さっそく結ぼうとポケットをごそごそするが肝心のおみくじが無い。カバンも探したが無い。これはしまったと思い、このままでは来週も神罰が下るかもしれんと恐れ慄きながら本殿に向かい、一言謝ってから再びおみくじをひく。「小吉」ちゃんとワンランク下がったものを引いて笑ってしまう。「水の如く低く流れよ」と書いてあった。水は好きなのでそんなに悪くないじゃないかと思いながら何となく一番低いところに結ぶ。帰りに本屋で村上春樹翻訳集「恋しくて」を探したがなかったので山田詠美の「ベットタイムアイズ」を購入。帰宅後、とても疲れて晩飯のあといつの間にか寝てしまっていた。高校の後輩と歩いていて、二人でその後輩の後ろ姿を見る不思議な夢を見た。

 

 

49

水曜日、何をしたのかよく覚えていない。何故なら酔っぱらったから。仕事終わりに叔父と飲んで、演奏会のスケジュールを決めたりしていた。叔父は心臓を悪くしてぶっ倒れてから薬でなんとかしているのだけど、芋焼酎のロックで薬を流し込むのを見ると、あまり真面目に養生してないなと思ってしまった。酔っぱらって店を出て、悪い癖で人に電話をしてしまった。私のよくない行為のひとつだ。酔って気持ちよくなると慣れないことをしてしまう。酔っぱらいから電話を貰って嬉しい人はあまりいないと思うので、自重しないといけない。でも電話を自分からして、さらに明るく話すなんて酔っぱらった時以外できないと思う。常に酔っぱらっていればいつも明るい人になれるかもしれない。

歩いて帰った。酔って歩くと気持ちいいのだ。ふとした瞬間寂しくなるけど、酔ってる時の寂しさは、寛容な気がする。

 

 

木曜日、6時半起床。二日酔いで死にそうになりながらシャワーを浴びる。鶏がらスープの春雨が身に染みるうまさだった。地下鉄でダンテの「神曲 地獄篇」を読む。地獄の罰がいちいち面白いので読んでて笑ってしまう。

 

仕事は今日も全くうまくいかなかった。うまくしようとするとどんどん硬くなってしまう。ほんとに首になりそうだ。

仕事終わりに放生会に行く。雨の中、大量の人にも揉まれながら歩いた。おみくじは中吉。いつもより近くで本殿の中が観れて楽しかった。丁度神事が行われる日だったようで、せっかくだから最後まで観ていた。半裸の男たちが太鼓と半鐘をどんどん運び込み、大音量で叩き続けるよく分からない神事だった。私の後ろで神事を観ていたカップルが話声だけで仲睦まじい感じが伝わってきた。幸せは眺めていて良いものだと思う。自分の幸せは気が付かないことが多い気がする。

靴がびっちゃびちゃになりながら帰宅。とてつもない眠気に襲われながら今書いている。